またくだらねえ諸法の研究か。お前、数学を徹底的にやってみろ。日本法がいかにくだらぬか分かるから。多分、日本社会に慣れすぎて、そのおかしさが分からなくなってしまっているのだろう。
分かってると思うが、私は高い理想の保持者であり、ゆえに数学に惹かれたのだと思う。そのような者が、法学部であの糞老獪な法律学に出会ったときの知的苦しみは計り知れないものがあったのだよ。

「問題を解く」というだけでは、数学的営為とは呼べません。そもそも数学とは、大数に載っている何やら面白そうな問題をパズル感覚で解くなどというものではなく、そもそも数とは何か、空間とは何か、ということを考えたり、自分で新しい体系を作ろうとしてみる、そのような自由な営為であります。幼児的というのは、何も数学として初等とかいうことではなくて、受験数学のようなものをパズル感覚で解く、それをもって数学をしたこととするという、夏目漱石的に言えば「必要な段階を一歩一歩踏んで行かずに、太い針でぼつぼつ縫って過ぎる」ことをいうのであります。ひるがえって現代日本の知的環境を省みますならば、そもそも政治レベルからして「太い針でぼつぼつ縫って過ぎる」ものとなっているのでありまして、その構図があらゆる学問においても現れている、といえます。数学であれば、演習をして点を稼いだら忘れてしまう、というのが圧倒的多数の日本人の数学学習です。私は別に数学問題を解くことに楽しみを見出しているのではなく、そもそも数というものの神秘さそのものに感動を見出しているのです。しかし、現代、特に東京という空間は、とても忙しく、およそ数学的価値観と矛盾するようなものとなっております。

日本が変というのはもはや自明でして、吟味の必要もない、と感ぜられます。第一、子どもの論理が全然通用しませんし、大人は口も開かない。人権国家を標榜する国がこれならば、一見明白におかしいといえるでしょう。細部を吟味するまでもありません。

センスがない云々と愚痴を垂れて意気阻喪するという日本人の傾向が実にくだらない。数学とはまず楽しむものである。日本の教育はそれをさせない。理由は明らかで、政治の方向が、工学中心主義であり、文部科学省は、数学自体よりもロボットのごとく応用数学ができることを尊重しているからである。したがって、純粋数学の面ではなるべく早めに諦めをつけさせて、応用数学のような暗記数学に走らせるというマインドコントロールを施しているのである。センター試験の問題や、東大二次数学をみれば明らかである。そもそも数学を楽しませる知的風土が日本にはない。大学への数学とて日本法と同じであやしいものがないではない。結局、あれは受験雑誌なのだから。やれ何点とったなどといって受験小屋に入れているサルを王様気分にさせているのであろう。本当の数学とは、本ではなくて、自分で考えることであるが、日本ではそのような行為を奨励しない。