究極の現実「日本にあるのは閨閥のみ。法律もルールも実は存在しない」

閨閥というのは、学閥や財閥のことです。wikipediaなどが必死に情報操作をしていますが、「妻の姻戚関係で結ばれた勢力のこと」などではありません。より広義に言えば、ただのセックスグループ、仲良しクラブみたいなものである。要するに、そういう人間の固まりです。人間の活動を言語に還元すると、言語の固まりになります。その時代の人間の意識を規定する言語のうち、ある言語が固まって社会的に影響力を持っているとき、それを閥と言います。これに閨という漢字がついているのは、閨という字にはもともと寝室とか婦人という意味があり、寝室で婦人とセックスをするように、その閥のメンバー同士で交わりを深め合うことによりこれを維持する性質があることからきています。つまり、閨閥とは、常に相互にイチャイチャすることにより影響力を維持拡大している言語の固まりとでも言えるでしょうか。実は社会で行われていることはこれだけと言っても過言ではありません。政治家の派閥、学閥、財閥などの人間が相互にイチャつくことにより自分の権勢の維持拡大に努めているだけで、世間一般に言われるような合理的で明快なルールに基づく社会運営など全然行われておりません。法律や情報というのは、そういう実態がさも存在しないかのように目くらましをするための虚構、形骸です。

ところで、外敵が来ると内部闘争している者同士が協力をするというように、明治維新後は外国から日本を守る必要があったので日本人は黙って皆協力しているだけです。本当は相互に話など通じません。その中でも、これらの派閥を纏め上げるお上という存在がおり、これは江戸時代の幕藩体制からきています。つまり、藩という様々な閥があるが、それが並立しているだけでは不安定なので、幕府というお上を置いてまとめさせるという考え方です。このお上がそのまま明治政府になり、藩は解体されましたが、明治時代には今度は財閥が現れました。そして、戦後に形成されたのが、政府と財閥がもたれあう政官財コングロマリットであり、その構造を反映して、社会の下部組織にも似たような構図がフラクタルのように出現し、日本は巨大な閨閥の集合体になりました。要するに、一人の婦人の周りに付き添ってイチャイチャするグループがたくさんできたのです。例を挙げるなら、弁護士なら弁護士同士でイチャイチャ、裁判官なら裁判官同士でイチャイチャ、刑法学者なら刑法学会のようなものを作ってイチャイチャ、大学なら同窓会のようなものを作ってイチャイチャ、とにかく、グループの大小や影響力の差はあれ、あらゆるグループがイチャイチャイチャイチャしているのが日本の常態で、誰とイチャイチャしているかが自分の影響力を決めるという、気色悪いゴキブリのような社会です。

なので、藩こそ消えたものの、現在は様々な価値観の閨閥を統合する政官財(お上)という、新幕藩体制のような格好になっています。で、今、日本が何をしているかというと、実は次どうしたらいいのか全然分からないで、ごまかしごまかしつなぎをやっているだけです。日本の成功は終わったとの見方もあります(いうと自殺が増えるので言わないだけ)。あと、アメリカが改革しろとうるさいので、改革しているように見せる必要もあります。アジアでの問題もあります。国内的には様々な閨閥が相変わらずイチャイチャしており、外装的には改革をしているようにみせているというどうしようもなく無秩序な状態になっているのが現在です。こういう空虚な時代には、秋葉原で大量殺戮を行う者が出てきても不思議ではなく、個人的にはGJだと思います。