本当の社会はどうか。とにかく複雑過ぎるので、自分で思考する余地がない。社会的に対応している私はもはや複雑な機械である。機械が計算をしてアウトプットする。なぜそうなるかというと、その機械にインプットされているものしか社会で通用しないからである。本当の自分などが受け入れられる余地はない。受け入れているふりはされるが。経験を重ねると、本当の自分などだすまいと思う。表現するだけ無駄だからである。その代わり、機械のほうがとても有効なので、もっぱらこっちで対応する。これは楽だが、とてもむなしい。コミュニケーション能力と言うが、日本人は生まれて死ぬまでコミュニケーションなどしていないのだから、どうでもいい。中年の飲み会だって真の目的はコネつなぎであり、相手の思想に共感したり反論したりする場ではない。連中は日頃からバラエティ番組で面白いネタを仕入れておき、飲み会の場で面白いことを言って受けを取り、その場の福祉に貢献し、もって自分の株を上げているだけである。あれも実は機械なのである。大人というのは、多種多様な自己目的に奉仕する行政活動をしているようなもので、それが社会利益とリンクするようにうまく工夫されている。そういう意味での奴隷社会である。