素晴らしき仏人権宣言4条の世界

フランス人権宣言4条の世界とは、個々人の活動に社会的意味を与えず、完全に自由にしておくということである。そこでは意味も無意味も、生産も無駄もない。ただ人がそうある、というだけである。それぞれの活動を社会的意味につなげるということをしない。個人がたまたま生産したものが社会の共有財産になることはあっても、社会の共有財産を生産するために個人に生産的であるように圧力をかけることはしない。そのような社会こそ、本質にかなう。たとえば今の社会は、有為とされる人間が突然交通事故で死亡するという事態を説明できない。あれだけ期待されていたはずの人が突然他界する。それによって関係者のかけた手間隙や投資は一気に吹き飛ぶわけである。そこには確かに社会的意味があったのであって、なかったとするのはウソである。これは人為社会の悲劇であるが、それをうまく説明できない時点で社会としておかしい。人権宣言4条の世界であれば、生き死ににいちいち意味があるわけがないから、突然他界したらそれは不幸だったということで処理される。そこまで生きたということ自体がただ素直に評価されるだけである。気が軽くてよい。人間が突然他界したら、周囲から、人生リスクがどうとか、計画が狂ったとか、投資がパーになったなどという観念が飛び出す時点で、今の日本社会はおかしいのである。