よく、1+1=2って誰が決めたの、とか言ってる人がいますが、このくらいのことはいいと思いますよ。社会の場合は、実に汚らしいルールが多いですから。たとえば、「単調に増加する数列が収束する」ことは確からしいので、まあそれ以上疑うほどのことはなく、これを前提にして微積分学を構築すればいい。しかし、「結婚しなければ尊敬されない」のように、怪しいルールで満ち溢れているのが、日本のマスゴミが作った社会です。

人間、どんなにえらくなろうと、人間であることをやめたら終わりです。人間であることというのは、俗世間で言うように、誰かに嫌われないでいるとかいうことではなく、生命体であるということです。生命体として、自然の関心を持ち、自然にやりたいと思うことをして生きることです。組織の歯車となり、機械のように働き、家に帰ったらTVをみて寝るだけの人生なら、死んだほうがましです。

現代日本人は、歳をとるとむやみに健康にこだわるようになる。これも気持ち悪い話だ。健康にこだわるのなら、若いころから一貫してこだわっていればよい。しかし、若者で健康を気にする人はほとんどいない。若者は若者で、また別のことを気にしている。何が気持ち悪いかというと、何を気にすべきかについて、社会が決定しているということだ。たとえばテレビなどは、若者は若者用の番組に意識を集中するように仕組まれており、老人番組を真剣に見ることはない。しかし、歳をとると、若者番組はくだらなくみえてきて、健康番組が切実にみえてくるようになっている。そういうふうに玉虫色にできているといってよい。人生とは先が見えないところがよいはずなのに、このように先がみえるように管理されているのでは、意気阻喪する。finalventなどをみると、将来の自分がみえたりするのでは、社会としておかしいのではないか。

ちなみに、このブログのように自然かつ自由に議論を展開するのが、真人間であり、権威の書の内容や流行の定型句を組み合わせて、意見らしいものを作る、という君たちの頭は、ウソなのです。それは、社会的に効力を与えられた言語を組み合わせているだけなので、それに効力を与えた人の意図の範囲内でしか議論ができません。
そういう議論しかできないのが、日本の一般人であり、それはただのロボットです。私のように、若いころからちゃんと自分で考えていた人が、真人間なのです。私のようにできない人は、いかに高学歴であろうと、ロボットです。真人間の営為としては、意見が正しいか間違っているかは本当はどうでもよく、それよりも、自分で意見を考えようとすること自体が大切なのですが、日本では、既存の意見を自分のものにすることが奨励されており、自分の意見を出すことが封殺されている点で、非人間の社会です。あまり、他人が指を指す方向に、のうのうと進まないほうがいいですよ。結局は、自分で考えることが大切なのです。
ちなみに、学校の教師は、自分の頭で考えることを奨励していながら、実質的にはそれを評価していないクズが多いので注意してください。そもそも、日本人がみんな自分の頭で考えていたら、秩序ある社会システムなど維持できませんから、学校の教師が自分で考えることを奨励するはずがありません。