究極なことをいえば、正義を装った形式論理を装った念仏坊主、これが日本人だよ。

特に東京人はそう。本質念仏坊主の詐欺師ばっかだから、ある局面ではとても派手に演出するが、普段は何も考えずにねっころがっていかに人を騙すかしか考えていない。まさに蜃気楼だよ。東京なんてないんだよ。列島の東の隅の原っぱに壮大な人間加工コンビナートを作ってそこで念仏坊主どもが念仏となえて狂気錯乱してるだけ。
よくよく考えた方がいいよ。念仏とっぱらったら何があるかつったら、一部プロ市民による壮大で複雑な呪いに強制されて働いている、という呪術奴隷社会という現実だけ。呪術が言ってることがいくらいいことでも、存在しないんだったら意味はない。実在は何か。その術に刷り込まれている知恵とか暴力とかそういうことだよ。それを呪式化してある。まとめると、非常に巧妙で強制力のある呪式に支配されているといえる。
東大つうのは最終的に世間に垂れ流す念仏ルールを開発するところなんだよ。法学部も文学部もそのほかすべての学部もそのためにあるといえる。まあ、要するに、全部念仏なんだよ。呪術奴隷社会はあるがそれ以外何もねーよ。原っぱにおったてられている工場の中で何か妄想してないか?
確かに寝るところあって飯も食えて病院もある。だが、自宅ってのは拘置所の独房と同じだし、病院は医者という奴隷が働かされてる建物のことを病院と言ってるだけだよ。確かに生活に不自由ないように思えるが、9割は幻想。実は拘置所みたいに役所に徹底管理されてて、飯や医療は給付されるが、それ以外自由はほとんどないという現実。要は市民社会の絵をした刑務所なんだよここは。