■東京終了のお知らせ
戦後、批判と議論を繰り返して、関東平野に営々と人工ロボットを作ってきたわけで、もう臭いところにもたいがい蓋をしてしまい、ロボットとしては成熟してしまった。しかし、完成したのになんでこんなに空虚なのだろう。当たり前だ。現代日本は、経済生産性に特化したロボットでしかないんだから。人間の自然、本源に根ざしてないのだから貧しいに決まっている。結局、何もしないで自然にしておき、長いスパンで自然に秩序創発する社会こそ真に豊穣なので、50年そこらで組み立てた

重装ロボットなどは文明でもなんでもない。いまどき東京などにいきたがる奴は無知と偏見でまみれた馬鹿であり、まともな人間は、こんなロボットが社会の中心を占めている事実に鬱屈して何もする気がなくなってしまうのが普通だろう。ロボットのヘルムの中にいる政官財学という馬鹿どもが必死に煽っているが、いい加減にしろと思う。

■東大は文明創生大学に変貌するか、できないなら他大に席を譲れ
事務処理マシン生産大学としての東大は死ぬべきだよ。東大総長の小宮山宏君、君の方向性は間違っているんだよ。何が産学連携だよ。結局経済だろ。もういいんだって。君、総長やめたまえ。西洋社会で形成された真の文明についてもっと学びたまえ。君はもう高齢だが、今からでも遅くはない。やる気がないのなら、君、総長やめたまえ。
■大人は邪推の塊
日本の大人の邪推は醜悪である。とにかくすぐに悪意があると解釈する(きれいごとや正義はいかに本気でも真面目に信用しない)。子ども目には異常だ。たとえば、id:feuillesは、私がid:etudianteを巧妙にそそのかしてプロパガンダに利用していると解釈した(それに簡単に騙されたetudianteも問題だが)。しかし、そのような解釈は完全に恣意的であるし、私の方もそそのかしなどの意図を持ってなかったので、腹を抱えて笑ってしまった。要するに、Feuillesという人間の内面を自分で説明しただけのことである(日頃からそういうことをしているから、他人の言語行為にそれが投影されたのだろう)。また、Mansukeなどは、Akatori777やYo5を私がやっていると解釈したようである。おそらく文面が似ているということで勝手にそうみたのだろう。しかし、文面が似ているから同一人物と解釈されてはたまらない。なぜなら、私を尊敬するあまり、自分のブログで文体が似てくることはよくあることだからである。筆跡鑑定ならまだ分かるが、文体が似ているというのは、ブログのようなものの場合、同一性を証明する証拠にはならない。Feuillesの例の他でも、とにかく日本人と言うのは悪意に解釈する傾向があるようであり、うんざりした経験が何度もある。ぶっちゃけていえば、大数的傾向、日本人は口だけで、実際は悪意を持っているという事実があるからこうなるのではないか。私は学校で漂白されてまだ汚れていない個体であり、悪意で何かをしたことなど一度もないので、大人の反応には違和感を感じるが、連中にとっては当たり前になっているのだろう。

ちなみに私も日本社会全体に悪意があると邪推しているようにみえるが、これは邪推ではなく、仮説である。長く続いており、大きな構造の中の法則は、邪推ではなく、正当な推測である場合があるし、私もそのつもりでやっている。邪推とは違うわけである。