最近ものすごく退屈だ

私は昔からピュアで、10代半ばごろから教科書に書いてある理想というものに感動して勉強してきたんだが(だから東大法学部などに入れたんだろうが。思えばあの頃が一番精神的に豊かだった)、この理想と実体のギャップは何だろうか。私は、完全な理想とはいわないまでも、それに近い実体があると思っていたが、後で分かったことに、教科書と言うのは大学の教授が研究室で純粋培養した脳内虚構であり、ただ子どもを洗脳しておとなしくさせておく道具に使われているだけだった。実際そこに書いている理想は無いし、社会は汚い。がっかりした。私は別にいい会社に入って安泰な人生を送ろうとか全く考えていなかったし、勉強しすぎたせいで精神的にブラッシュアップされてしまい、俗っぽい欲得がなくなったので、お金が欲しい気持ちが全くない。世間は東大というとどこでも入れてうらやましいね、などと言うが、本人は案外そう考えていない。日本社会における労働や金稼ぎなど、一個の自然な人間としてやる価値などない。私が勉強の課程でみてきた古今東西の学問の方が面白いし、やる価値があるように見える。

学問の結果が社会に応用されているのはいたるところで実感するが、この根本にある価値観がどうも卑しい。理想的ではない。要するに、ご都合ではないか。少なくとも教科書でみたような荘厳な体系ではない。もっと実際的で、物質的である。それとやはり物質生産主義に偏向しているきらいがある。自然に根ざしていないのは致命的だろう。それと政治家の意図がおぞましすぎる。要するに、支配の便宜に学問を応用しているだけで、そこに一貫した体系がない。

理想を目指そうとしても実現しないという黙示録をみたときはがっかりした。頑張るだけ馬鹿をみるじゃないか。じゃあ、今まで理想に感動して勉強してきた俺は何なのか、と。今はもう意気阻喪して何もやる気がしない。騙しやがって。その怨恨をこうやって吐き散らしているのである。