日本が終わるのを懸念している人がいますが、

日本社会は、太古の昔から政治に何の志操もない時点で、終わってます。経済がいいのを始まっているとする馬鹿がいますが、経済なんてどうでもいいわけです。本質がないんすから、昔から終わってるんですよ。本質を獲得することをはじめた時点で日本は始まるのであり、それやらない限り、ずっと終わっています。日本を開始するには、日本を嘘で固めてる官僚・東大・大企業を破壊せねばならないのです。

奴等に煽られて、必死に知識を蓄えたり、資格を取得したりしても、その先には何もありませんよ。ただの知識馬鹿になるだけです。学問という営みは、そういうものではないからです。学問というのは、観察して考える、というだけのことです。それで成果がでるかどうかなんて保証されていません。その成果を短期間で出させるために、人に学問と似て非なるものを奨励するのが日本の学界の空気です。光を目指す自分の為に何もかも捨てる人がいますが、そんなことをすると自殺することになりますよ。なまくらな日本人が必死でやっていることは、たいてい嘘です。騙されているのですが、あまりに巧妙な騙し方なので、みんな気づかないのです。
日本の学者というのは、必死に勉強して頭の中に家を建てているようなもので、自分で学問をしようという奴はいないので、詰んでいる。彼らは、学位を取得するか、教授になったとたん、それ以上出来ることは何もなくなります。自分の頭に作った知識をメンテナンスしているだけです。彼らは自分の建てた家とともに生き、家と一緒に倒れます。自由はないのです。かわいそうに。


自然的本質に基づくものを大事にする人にとっては、健康は無条件に大事ですが、金や地位というのは、大部分が表象と分かっているので、白けます。たとえば金の大事さというのは、その金がないと生きていけないというようなゲルマンの自然経済における金です。しかし、現代日本の金は、半分ほど切実さがなくなっています。なぜなら、和解金の詐取などで数千万円もタダどりしている人がけっこういるからですし、ギャンブルやなんかで数千万円が一気に吹っ飛んだりするからです。また、働かなくても、どっかから金がなんとなく入ってくるなど、ますます金とは何なのかが不明になっています。また、地位というのも、内実が薄れており、教育審議監ナンバー2や校長になったからといってどんな名誉があるのでしょうか。弁護士といえば、昔は権威がありましたが、今では2chなどに醜態を晒すただの変態になっています。つまり、何もかもが表象でしかなくなっておるのです。
あと、テレビに出る学校教師がどうみてもただのサラリーマンになっているのはシラケます。彼らの存在は、人間ではなく、官僚の作ったマニュアルの規定にすぎない感じがする。規定にしたがって人格を演じているだけです。実に馬鹿げているが、彼らの欲望が金だけになっているので、我慢している。教育がしたいのではなく、金が欲しいだけです。官僚の計画というのは、おおかれすくなかれ、人為と自然が葛藤しているが、社会が整理されるに従い、人為性が増大し、最終的にはものごとが社会的にのみ解釈されるようになる。いまそうなっています。