日本の官僚政治家は、本質的なことやろうという気もないし、安心だの安全だの人生設計だのと夢のないことばかり考えているし、政治制度は何のプライドもなくころころ変節するし、要するに実利折衷主義だし、自分もそうならないと適応できないし、こんな変態国家やってられんわ。

日本というのは、その当時は公式の価値観とはまったく矛盾したことをしているのに、玉虫色の政治交渉をするという規律があるため、後から考えるとツジツマが合うようになっている。たとえば、小中学校とは、事実としてはただ閉じ込めておいて訓練と去勢を行い、奴隷を生産する場にすぎないのだが、後から考えると学校教育法の理想を実現するための営為を行っていたと解釈できるようになっている(卒業アルバムなどで美化されているので尚更)。ほかには、小中学校には熾烈ないじめがあるし、高校では激烈な受験競争があるのに、大人になってからは、あたかもそんなものはなかったかのように、つじつまを合わされてしまう。みんな、いじめとか受験競争のことは思い出したくないので、そのつじつま合わせにしたがってしまうのである。この辺りのことも、官僚が設計しているのは明らかである。しかし、つじつま合わせに使われている考え方やテクニック(その最たるものが法律)は、中身のない虚しいものであり、本質に直接関係ないものであり、そんなものによりどころを見出している人間は、クズである。日本の現実は、TVや新聞が見せてくれるつじつまが合った世界ではなく、ぜんぜん矛盾した合理性の無いものである。
学校教育で培った論理や人格を維持しようとしても、日本社会の現実に対処できないので、思考に矛盾が多くなり、矛盾の苦痛を回避するため、嘘が多くなる。かくして若いころにあった論理や人格は消えうせて、中年ぐらいにはただの凡人になってしまい、金や省益に汲々とする俗物が増えていくわけか。この極限値をとると、日本の政治家となる。


学歴コンプの非東大卒が一生懸命自己肯定しようとしても、無駄ですよ。いくら何を言おうと君が非東大だという現実は変わらないんです。

私個人の見解では東大卒かどうかなどどうでもよいことだが、現行社会における金銭享受、権力把握を幸福だと定義するなら非東大は絶望的。

それこそ親が巨大な基盤を持っているとか、何らかのメジャー分野のトッププロになるとか、特異な才能を発揮しない限り低級奴隷としての人生が既に決定している。

どこの大学を卒業したかという時点で先が見えるような社会、しかもその序列構成が人間の思考力と言った本質的なものに基づかず、事務処理能力に長けたインチキマシーンの性能比較だから絶望しているというのに、それすら解らない低脳は本当にもう救い様がない。

ここで私の言っていることは事実のみで、人間(特にマスゴミ)が勝手に作り上げた虚構に基づいていない。事実は誰も否定することはできない。



駅員に向かって興奮して食って掛かっている人を見かけたら、普通の日本人は「な〜にやってんだろ?」と若干軽蔑の眼差しで見たりしますが、これは大間違いです。

駅員に向かってそういった怒りを持ち、行動に移す人は鉄道会社の理不尽を正当に批判している正しい人である可能性が少なからずあります。

しかし今の実権を握っている人間達はそういう義憤による反抗を封殺するために、マスゴミのプロパガンダと同調圧力で反抗者を馬鹿に仕立て上げているのです。トラブルを起こす人は悪、というような印象操作は、多数の人間の行動を縛るのに非常に効果的です。

今話題にされがちなモンスターペアレント(モンペなどとも約される)と呼ばれるケースなども、報道する側が親が理不尽であるケースのみをピックアップするのです。こうしておけば学校がいつも正しいような印象を与えることができます。

こういう雰囲気が形成されると、まるで学校に抗議することは全て悪で、抗議する者は全員がモンスターペアレントと看做されてしまいます。こうしておけば学校を円滑に運営できますので、低コストで生産マシーンとなる人間を産出することが可能になります。

無論、ここで書かれているような次元の話は当事者である学校関係者ですら知らない事ですが、報道というものには須らくこういった深い政治的意図が隠されています。モンペは実際にいる、というのは反論になりません。確かにモンペはいるでしょう。しかし、正しい事を言う親は更に多いはずです。学校が常に正しいという命題は、いったいどんな物理法則によって保証されているのでしょうか?