もう一つおまけに客観的に書いてやろう

多くの大人は子どもの頃の感触を忘れたか、意図的に思い出さないから、現実の矛盾感が気にならないのだろうが、就職前と就職後では、脳内が完全に切り替えられるというのが日本の仕組みである。すなわち、就職前までは、無知なまま猿のごとく人権を行使してよいということとなっているが(その辺を歩いているカラ馬鹿の高校生や大学生がその典型だ)、就職後は、頭を公共の福祉に切り替え、公共の福祉のために生きるように暗黙に命ぜられる。ここでいう公共の福祉とは、一種のシステムであり、大人はそのシステムどおりに頭を固めて動けという圧がかかるわけである(たとえば人によって人格を使い分けろとか、子どもの夢を壊すな、とか)。死んだ目をして歩いているその辺の大人が典型である。このように、この社会では時期によって推奨人格が指定されており、一生を通じて人格を一貫させたり、自分で人格を決める自由がない。一時期「猿岩石」というバンド名が流行ったが、これは、社会には猿と岩石がいますよ、ということのメタファーだろう。大人という岩石(頭)が人権の行使が許された猿を巧妙に操ることで、諸目的を達成しようとしているわけであるし、実際そのような感がある。ここで言いたいのは、このように人権と公共の福祉は、相互に矛盾した両立不可能なものであるということだ。生き生きとした生命体と、仮死状態の生命体では、核心において確実に矛盾している。もちろん、日本のように魔法を介在させることで、ごまかすことはできるが、それは主観的な話であって、客観的には明らかに矛盾していよう。具体的にも、昔は生き生きと生き、それを継続することで将来何かを成し遂げよう、と計画していたのに、いつのまにか仮死状態になるように圧力がかかり、生命力も夢も消されてしまうのでは、やるせない。逆に、若い頃にいかに公共の福祉の精神があっても、周囲が猿のようであるために、同調できないというのもおかしな話である(生真面目な優等生が高校になじめない、というのがそれだ。id:yo5さん他もこれを訴えているし、裁判事例も存在する)。このように、日本の本質的矛盾とは、その生産性の背後で様々な犠牲を生み出しているのであり、単なる思考上の概念操作だけにとどまるものではない。


40代半ば人生終えた頃に金と権力がないのは悲惨だ。
しかも病気が出てくる時期だしな。生活習慣病に更年期障害。
会社に騙されて働いてきて一番大事な健康管理を怠っていた
自分の馬鹿さ加減に腹が立とう。40年も生きてうつ病なども恥ずかしい。
自分が子どもに愛されないのは根暗の証拠だからますます鬱だろう。
会社の上司は威張り腐ってて気に食わなかろう。
社会の仕組みが薄々分かりだして、官僚・東大に支配されている感が
ますますリアルになってくる年頃でもある。嗚呼、勉強して官僚になればよかった。
自分の子どもこそは官僚にするぞ。「勉強しろ!」「死ねクソ親父!」「うう・・・」
こんなところまで官僚に調整されているのか・・・。箱庭社会、ちくしょう・・・。
しがない中年はまさに三重苦だ。


子どもの猿みたいなエネルギーを死人どもの精巧な計画に利活用して社会を回してるからな
ここに書いて有るのは全部ファクトだし、大人どもの秘密なんだけどなw
それがばれてるのが面白い。こんだけネットにファクトが垂れ流されている気分はどうだい?
もしここに書いてることが子どもに浸透したら、日本の経済は終わるよ。
子どもが知ったら、子どもの持っているエネルギーがお前ら死人の計画に充填されなくなり、
社会から横溢してお前らの計画をぶち壊す。


当事者利益と社会的利益を考慮して私的経済権を制限するのは、すでに最低限の域を超えているっつうの。あと、社会的利益の考慮において、その最低限以上の制限をすることも可能なんだから、いずれにしろ公共の福祉という概念は人権と矛盾する。公共の福祉なんていうあいまいな概念で人権が制限できるなら、明治憲法と変わらないという意見はとっくに出ている。


実際、大人の脳内は、矛盾感たっぷりじゃないか。それが、憲法の矛盾の証拠だよ。ただ、働きなれて機微が身についた中年は、慣れているから、あまり苦痛に感じなくなっているだけ。人によっては苦痛。特に子どもなんかそれが分かっている。


日本はキチガイ官僚インテリジェンス絶対制で、正直者や正義者がばかをみるよ。インテリジェンスで国内外の政治や統治をやろう、そのためには正義もへったくれもないと考えているキチガイ猛者じゃないと、そもそも国1の出願をする気にもなれないのだから。で、このインテリジェンスってのは、国家的詐欺としかいいようのないものであり、なんの筋道も無い。