ペーパーテストによる学力序列化を回避しようとするのは、人間の平等を保障する目的じゃなくて、学力下位の人間を暴れさせないで保存しておいて、その後の社会で経済奴隷として使うためだよ。学力序列化をすると学力下位の生徒が不良化して暴れ、ひいては学生運動などに結びつきかねないという戦後社会の失敗に基づいた政策(こいつらの世代が学生運動で暴れたくせにこいつらが学生運動を禁圧しているんだから本当にこの国は笑える)。だから今の高校なんかでは点数による序列化はしないで、優等生はこっそり学力をつけてこっそりよい大学に入るというのが一種のマナーになっており、劣等生はバカみたいなドラマや流行で成績から注意をそらせて暴徒化しないようにし、卒業後、社会の放り出して身動きが取れない状態にしてから夢を解いて地獄に叩き落す、という論理もくそもない結果ありきの陰湿な手法を用いている。確かに結果だけみると合理的にみえるが、そこで様々な「当たり前」「自然」が犠牲にされているわけである。無理な結果論と矛盾と破綻と嘘による誤魔化しでできた今の官僚政策はただのキチガイのすることであり、まっとうではない。

平成も20年になるが、昨今の連中の手法は日本の素が丸出しになったような結果論と嘘による隠蔽という醜悪な政策に甘んじており、論理も理念も消えうせたというしかない。明治大正時代のような引き締まった思考はないし、昭和のような凛然さもないし、敗戦直後のような漲る気合もない。まさに満足して腐れて元に戻ったのである。元に戻ったところが、理路も何も無い変態国家であり、今まで蓄積してきた知識は嘘や形骸になってしまった。

しかしまあ夢や理想がなくて金だけとは終わってますな。夢も理想も自然もなくて金だけあるという糞国家。夢や理想を持って自然に生きるということに真の幸福と価値があるわけで、夢も理想も失った死体がマニュアルどおりに立ち回って金を得ればそれが人生みたいな社会って本気で終わってるじゃないですか。