集会・結社・デモ行進等の表現手段ひいては口頭表現は前世紀の遺物で時代錯誤

一般市民の表現手段として表記のような形態が存在する。確かに公権力に比肩する巨大な権力をもって表現活動を行うマス・メディアに対する対抗言論形成の手段としては、同じ意見の人々が集結して公に対し示威運動を行うことも合理的ではある。しかし、表記の行為なかんずくデモ行進はこれが実行されることにより交通・平穏な生活等様々な社会的利益と衝突する高度の蓋然性があり、また、集団暴徒化(東京都公安条例事件最高裁大法廷判決において示された理論)という抽象的危険も多分に存するので、他の代替手段が存在すればそれを利用すべきことは明らかである。

その代替手段こそサイバースペースにおけるウェブログ(以下ブログ)である。そもそもサイバースペースすなわちインターネット空間は今や現実世界と同等かそれ以上の存在感と存在価値を有し、世論への影響力も大きく、そこでの言論は現実世界での言論と遜色ない。そしてブログの出現によって同じ意見を有する者同士が時間的場所的障碍なく格別の費用もなしにサイバースペース上の一点に速やかに集結することが可能となり、事実上、ブログは集会・結社のより好ましい代替的チャンネルということができる。また、サイバースペースが現実世界と同等以上の存在感を有するに至った今日においては、サイバースペースとりわけブログにおける言論は、その肥大化の程度によっては国およびマスコミも看過できないものとなり、対抗言論として十分な発言力を獲得できるだろう。なお、表現の自由は、我が国においては憲法上最大限に尊重されているものであり、事前抑制が禁止されているのはもちろんのこと、当該言論に明白で差し迫った危険が含まれていなければ国とておいそれとは規制することはできないのだから(すれば違憲)、特定の意見を特定のブログに集結させていることの一事をもって当該ブログが国によって規制・禁止されるようなことはまずありえない。

さて、集会結社デモ行進を止めてブログに移行することの利益はかなり大きい。既に述べたようにデモ行進は様々な社会的利益と衝突する可能性も高く、またそもそも表現のために人的に集結することの意味も乏しく、手続きや時・場所・方法等の規制の問題(パブリックフォーラム論)を生み面倒なのに対して、ブログは徹頭徹尾言論だけでの対抗で平和裡に表現の自由を全うでき、サイバースペース自体が高度に洗練されたパブリックフォーラムであり規制の必要のないこと、そしてインターネットにアクセスできる環境にあれば表現行為についての手続きは不要であること、ブログを対抗言論形成の場として採用する利益は、採用しないことによって失われる利益(といっても僅少だが)に比してはるかに大きい。

そうであれば、このインターネット全盛の時世に、未だ人的集結による集団示威行為という非合理的手段に固執することは時代錯誤の謗りを免れない。

そもそも、デモ行進のみならず、社会のあらゆる言論行為はサーバースペース上で行うべきである。とりわけ日本では人的に集結して議論を行うとしばしば馴れ合いになりろくな結果を生まない。また事実上の上下関係が優先されて必ずしも全員の意見が平等な対抗力を担保されない。だいいち、日常会話ならまだしも、あるていど熟慮してから発言すべき言論行為に口頭表現はなじまない。サイバースペース上ならば多少落ち着いて考える時間が生じるし、文字で議論が行われるので理解も明晰かつ明瞭である。文字以外いっさいの要素が介入しないため、サーバースペース上の議論では語彙力・思考力・論理力の力量の差が明確に現れ、そういった力のある者が報われるという好ましい結果にもつながる。これが口頭表現になるとろくに考えられていない上に声が小さかったり噛んだりして議論の進行に差し支えるし、また声の大きなものが場を支配するという議論に好ましからざる現象も起きる。

以上のように、このインターネットの時代に、口頭による議論や集会結社といった人的結集は無価値なのであり、これからはインターネットの利点を生かし、議論から馴れ合いや上下関係、口頭表現能力といった非本質的要素を排し徹頭徹尾論理のみに基づいた議論が可能であるブログにおいて言論形成ないし議論を行っていくべきである。