高校教師の秘密

高校教師は実は生徒を教育するというような意思を持っていることはまれであり、高校という組織内の教員という一機構に成り切って、その職責を果たすことをもって仕事は成功と自認している人がほとんどなので、高校生は、あまり学校教師を信用しないほうがいいと思います。彼らは何かをしてくれるようで、実は最後まで何もしてくれません。高校生にとって教師の正しい認識の仕方は、そこに立って動いている機械であり、働きかければプリントなどを出してくれることはあるが、何らかのシステムによって大人社会の秘密までは決して教えてくれないようになっています。あと、彼らは自分の教育の無謬性を信じており、自分で作成した試験で予定調和的に高い得点を取らせることでそれを確認していますが、高校教育に準拠した対外模試などを受験させると、実質的に教育目的の1割も達成できていないことが明白になります。なぜなら模試の解答率が実質配点で10点(100点満点)もないことがほとんどだからです。もし、教育が無謬で、自分が教えたことが生徒に身についていれば、生徒は模試で100点とはいわないまでも7割はとれるはずです。しかし、どこの学校でも、実質は1割なのです。これが教育の現実であり、無謬なのは教育そのものではなくて、教師の頭の中にある教育計画というドグマなのです。指導要領どおりに教えたから教育は完璧だったというお話を作っているだけで、実態教育は惨憺たるものです。義務教育とか高校教育というのは、やることはやるが、内容の理解率1割以下のまま社会に放り出されていると言っても過言ではありません。そういう圧倒的多数のアホを、一部の優等生が操り遊んでいるのがイマの日本社会の現実です。
ちなみに、本当は1割から3割くらいしか達成できていない高校教育を6割達成できたことにするのがセンター試験である。

国土交通省って一部のエリート大学卒しか入れない特別な職場ですよね。なのにどうしてTVではバッシングされ、薄給激務と言い張り、職員はどこにでもいるサラリーマンのふりをしていると思いますか。それは、この国を回しているのが彼らではなく、彼らが作った書類に操られる全国民だからです。つまり、彼らは書類さえ作っておけばよく、後はその仕組みがばれないように必死で演技をすることが職務なのです。彼らの仕事は、今ではほとんど意味がなくなった法律作成、国会議員にどなられるふり、地方巡業、インターネット工作であり、真に人間らしい仕事などしておりません。こういう連中が牛耳るようになった国は終了です。
もっとも彼らもこの国の未来に希望を失い、暗澹としているのですけどね。彼らが毎日しているのは、今までに作ってきた巨大なシステムのメンテナンスでしかありません。そして、国民にこの仕組みがばれないように毎日願をかけているのです。もともと、矛盾だらけのロボットなので、いつぶっ壊れてもおかしくありません。まあこんな茶番社会を理想の文明などと口が裂けても言えませんがね。
ちなみに、公務員採用の原理とは、このウソを演じるのに適任かどうか?という基準である。


数学は遊び心がなければ扱えないものであるところ、日本社会の価値観には基本的に遊び心というものが消え去っているので、どうしようもありません。エラトステネスのふるいなどについても、自然に対する探求心が旺盛だったギリシャ人だからこそ発見しえたものです。日本では、エラトステネスのふるいは、大学の計算機科学の教授などが、これを使うと素数の求解速度が上がりますなどとしたり顔で教えてくれますが、おそらく数学科が欧米に学んで集積した知識からそう言っているだけで、日本人が自分で考えて発見したものではないから、虚しいものがあります。
大体、日本人(とくに東大)は科学知識の果実だけをほしがっているようで、科学知識を考え出したやつはただのキチガイだと思っていますから、致命的です。官僚などはその最たるものです。東大法学部を出て官僚になると利口だというのが日本社会の価値観ですが、あんなの自然的正義からすれば、ただのくそ馬鹿ですよ。あと、そういう価値観を礼賛する日本人も同様にクソ。

誰かが既に発見していることでも、自分で考えて自然法則を導き出すのは楽しいものです。
人間にとって最重要なはずである楽しさというものを無視し、人為的な社会評価のみを最重要視する日本人の価値観には反吐が出ます。

東大が作り出した虚構

この虚構は確かに日本経済に貢献しましたが、論理も自然な思考も人間としての当たり前も無視し、ひたすら結果論で出来ているため、不正義です。この虚構は結局東大の欲する結果の論理なのです。このため、子どもからみれば当たり前のことが通らず、大人独特の隠語や符牒が飛び交い、論理は通じず、筋道がなくてただひたすら何かを信じて生きるしかない理解不能な社会になりました。