職務質問に付随して所持品検査ができるかという問題がある。

所持品検査は犯罪防止目的での行政警察活動にあたるところ、行政は法律の根拠がなければ、いかに必要・有用であっても許されず違法である(法律による行政の原則)。この点、警職法2条4項や銃刀法24条の2第1項に、凶器・銃砲刀剣類等を所持していると疑われる者に対する所持品検査を認めているが、他に一般的な規定は存在しない。そのため、職務質問に伴う所持品検査は違法であって許されない、という説も存在する(百選4事件解説参照)。しかし、所持品検査は犯罪防止目的にとって有効な手段であり、職務質問を行う際、口頭で質問するのみならず、所持品検査を行うことができるのであれば、職務質問の目的たる犯罪防止効果はいっそう増大するから、職務質問に付随して所持品検査を行うことができる場合があり、警職法2条1項を根拠に許されるとする考え方がある(昭和53年6月20日最高裁判決)。しかし、この最高裁判決はあまりにも結果論である。前半の理論学説は、なるべく刑訴法を解釈して客観的な結論を導出しようとしているのに、最高裁は、犯罪防止効果が増大するからという抽象論だけで所持品検査を認め、その根拠を警職法2条1項「警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者を停止させて質問することができる。」などというあいまいな規定に求めた。しかし、この規定から職務質問の際の所持品検査の許否を導き出すのは牽強付会であるし、そもそも「必要」とか「相当」とか「合理的」という抽象的なワードを法令に使うということ自体がいかがなものかと思われる。こんなワードを使われれば、たいていの結論はこの語句で包摂できてしまい、法の安定性をないがしろにする。結局、「必要」とか「相当」という語句は、論理矛盾のごまかしなのである。本来ならこのようなあいまいな語句は憲法理念から違憲としなければならないのだが、憲法が何も応答しないため、抽象的な実定法規が無数に放置されており、最高裁の都合のいい結果論を許す結果となっている。まあ要するに誰も批判(違憲主張)しないのをいいことに、本来なら破綻寸前の粗雑な法令が、ポジティヴィズムを錦の御旗に命脈を保ってるのだよ。真人間がみれば荒唐無稽なものの考え方が、ある人たち(大人)の間では、論理一貫したものとして通用してしまっている。