私は理論的にはすべて分かってしまっているんだが

全部分かったんだが、知れば知るほど、このクソ日本、嫌になるわ。
システムを仕組んでいる奴のやり口のキモさもさることながら
日本人自体がどうしようもなく気色悪い。
こいつら、常に真意を隠して相手をミスリードする
発言ばかりひねり出し、お互いにだまし合いをしている。
日本に生まれてきた時点で人生終了している。


日本社会はいいかげんのきわみで、教育なども話半分に聞いているやつが一番得をするようにできている。学校教育などをまともに受けていても、たいして良いことがない。たとえば数学を理論にさかのぼって本質から理解しても、社会に出てから使う機会がないし、法律で理論的批判を学んでも、それによって法律が改善させることはほとんどありえない。つまり、本質に関心がある者がろくに報われないのである。報われる人間は、試験などの学校の約束事をうやうやしくこなし、お上の意図どおりに点を取ってステップをあがってくる子で、そういうやつが大人になったときにちょうどよく活躍できる社会になっている。そのレールをそれると、多かれ少なかれ地獄が待っているのである。まあ確かに勉強しなかった人間が臭い汚い仕事をするのは仕方がないが、学問の本質を好み、点取り以上のことを自主的に勉強した者が報われないのでは、本当の社会ではあるまい。

ではどうして点取り人間がもっとも活躍できるかというと、社会人が日ごろしている仕事が、ペーパーテストのような茶番でしかないからである。つまり、サラリーマンの仕事は、質問をみて反射的に覚えている答えを出したり、数学の決まりきった問題を機械的に解くのと同じものでしかないからだ(そうみえないとしたらその部分はうそ)。たとえば、企業の電話担当などは、かかってくるクレームをマニュアルどおりに解決するだけでしかない。そこにあるのは、徹底的に無媒介の反射思考であり、熟考や対話などではない。たとえば、彼らは少しでも沈黙が続くと、それに耐え切れないと見て、すぐにどうしたのかと聞き返してくる(人間なのだから考えている間は沈黙するのが当然だろう。そのくらい空気よめよ)。また、少しでももごもごすると、それを正確に聞き取ろうとすることはなく、「何を言っているのか分からない」という定型文句を返してくる。ああいうのは少し努力をすれば理解できるのに、理解できないふりをしているのである。連中は、こちら側の失敗を極力利用して、自分の実質的な勝利を収めていくことしか考えていない(実にばかばかしいが、こういう連中と戦うために、私も同じ戦法を取ることがある。こういう会話をした後、満足感や知的充足感を感じたことは一切ない。残るのはストレスだけだ)。

いずれにせよ、サラリーマンが毎日していることの大半は、学校のペーパー試験のような馬鹿げた作業であり、しかもそれが早く正確にできることが頭がいいと洗脳されてしまっている馬鹿ばかりである。



たとえば刑訴法247条や脅迫罪における脅迫の判断基準に関する最高裁判例は不当もいいところなのである。前者は、職務犯罪を構成するような起訴でなければ違法でないなどと極端なことを述べているため、さまざまな差別的起訴(とんでもない基本権侵害だ)を許す悪法となっているし、後者は表現の自由との調整を厳密に行っていないため、脅迫概念の射程が不明となっており、「予告In」の矢野など、脅迫概念のあいまいさを利用し実際には脅迫にあたらないようなまっとうな表現まで脅迫扱いして間接的に言論封殺しようとしてくる人間(ないし背後の組織)も出てくる。判例などというといつでも勝手に変更できるようなイメージがあるが、判例とは家の骨組みのようなもので、家がそういう構造であることによって長期的に利益を得ている人間がたくさんいるため、簡単に変更することはできないのである。最高裁が一般的な判断を出すということは、国家という家の構造を決めるくらいの重みのあるものであり、その中身が拙劣であるということは、国家が拙劣であることにほかならない。