自然が消えつつあるくだらない日本

養老孟司氏が何かの本で
「飛行機から見下ろして、日本の自然はもうだめだと分かってぐったりする」
と言っていた。同氏のことだから、ここでいう自然というのが
都市と対置される概念ということは推測がつくが
最近の私の心境もこれに尽きる
ともかく社会的な評価、半ウソが増えた。
半ウソとは、半分くらいは自然の真実があるが、
半分は人為的な意味があるというものだ
それが年々、人為的なウソの割合が増えて
自然が無視されてきた
大分県教委の事件などはその骨頂だろう
政治的な口利きで合否が決まるというのは
いよいよ人為的本音で何でも決まるようになった
ということだ
学力という自然的真実はどうでもよくて
人為、コネクション、カネが重要と誰もが
考え(させられ)るようになった
大分県教委の件は検察が入ったが
これは口利きがばれてしまったので
検察が火消しをするという意味に過ぎず
政治的口利き自体は水面下の氷山のごとく
全国に温存されている
検挙はコネを含む日本的調和の故障を元に戻しただけで
正義の実現ではないのだ
マスコミは容疑者の顔を何度もさらすことで
次からばれないように公務員に間接的にけん制を
かけつつ、自分たちの社会的影響力を自慢している
検察やマスコミなどというものは正義など実現するつもりはなく
あくまでやりすぎたのでその破綻をとりつくろったにすぎない
典型的な子供だましで、子供はだまされるが、
大体こういう政治構造は社会のあらゆるセクターに
存在し、大人はみな事情が分かっているので
黙許してしまうのである
いずれにせよ、自然に基づかない社会などというのは
いかに多産でも人を幸せにしない。
官僚、東大の馬鹿どもは考え方を変えるべきだろう