細工は流流仕上げを御覧じろ、では正義ではない

日本には、決まりきった巡礼のような人生を歩んでもらうため、
目に見えない細工がほどこされている。私は今までずっとこれに気づかなかったのだが
(気づかなかったというのは迂闊だったのではなくて別の自然な感性の世界に
生きていたので、想像もつかなかったということ)、気づいたところで
この細工に何のありがたみも感じない。私は今まで完全に自分の
好き勝手に生きてきており、好きなことしかしないというのが
モットーだからだ。この細工を利用して調和的な人生を
歩もうというような人間は、最初から親に入れ知恵されてレールに
乗っかるように生きてきたか、親の言うとおりに生きてきたら
うまいこといったというような、よい子的な人間であろう。
ちなみにこの細工は、玉虫厨子のごとく精巧にできており
光の当て方、つまり観点によりいろいろに見えるように
うまくできているが、私のようなナチュラリスト、自然のまま
を尊ぶ人間からすると、いかに精巧であろうとも人為は人為、
管理は管理である。人間の人生が管理されてはたまらない。
管理というものが必要なのは当然だが、それはもっと限局されて
いなければならない。日本のように、都市にせよ地方にせよ
すべてを管理するのは異常である。
第一それでは本当に潤沢な文化というものは実現しないだろうし
将来の自分がどうなるかが見えている(未来が現在化している)というのは
実に心の寒くなるものがある。
このような伝統工芸品のような世界は、いわゆる保守本流、
官僚や東大の人間が作ってきたものであり、現代日本は
一見文明に見えて実は保守本流が維持管理し、目的に応じて利用する
箱庭にすぎないのだ。
世間では保守本流を叩く意見は多いが、ほとんどは保守本流の外に
いる人間がご都合で批判しているものが多い。
保守本流の致命的な欠陥は上に述べた点であり、アンチ保守本流のお決まりに批判
のように、官僚東大は経済を不況にしたから悪なのではない。
大体、アンチ保守本流は学歴に基づくコンプレックスの塊であり
彼らの批判はそこに出ているのは私がよく知っている
東大法学部を出て保守本流を正当に批判しているこの私の
意見こそが真理真実なのであって、誰も正しく批判できまい。