ナチュラリストの私が嫌う馬鹿国家日本

日本の政治は、普通の国家と違い、政治家ではなくて
政官財学がグルになって決めている
具体的にいえば官僚、経団連、東大教授、政治家の
誰か、ないしは派閥が、ある種の実利精神に基づいて、
個人個人が後で責任を取らなくてよいように匿名で政策を決め
なんとなく実行する
要するに、国民に基盤を持つ政治家ではなくて、受験競争に
基礎を持つ頭でっかちな人たちが政治を実質的に決定しており
日本で政治家と呼ばれる人は、アメリカからみて民主主義にみえる
ように、すでに決まったことを自分たちで決めたかのようにパフォー
マンスをするマスコットにすぎないし、国民主権といいながら国民は
政官財に隷従させられており自由意志はない
彼らは、お互いに反目がないこともないが、心の底では個々人で
意見が違っても、社会に出て派閥対立や多忙にさらされると
社会的にはもはや個人の自由領域などなく、
大学の講義などで制度的に形成された共通の価値観に収斂して
いかざるを得ないのだろう
また、飲み会や会合などによって日ごろから親交を深め、
よもや喧嘩などないといったような状態にもなっているので、
全体としては統一がとれている。
が、やはりプライドの高い人間がそろっているので、
何かのはずみで抗争になることがあり、大学教授が政治政策を
クリティカルに批判してシステムがぐらつくなどといったことがある
批判者が批判だけで満足せず、政治決定を崩しにかかってくると、
システムの安全を維持するため、やむを得ず力関係で問題を処理することがある
検察が批判者を痴漢扱いして闇に葬ったことなど何度もあるではないか
この意味で、政官財学の中でも上下関係があり、要するに警察とか
検察など実力に基礎を持つセクターには勝てないわけである
ちなみに大学教授は理論的に正当な批判をすることが多いにも
かかわらず、それを正義の味方である検察が斬るというのはどんな心境
なのだろうか。泣いてバショクを斬るといったところか。
しかし検察にいるような人間は、正義や知識の人間ではなくて
赤れんがに棲みたい、お金がほしいと夜な夜な思い続けているような
権力欲に満ちたクズばかりである気がする(ネットに検察志望の東大
法学部生がいるが、昔からクズとしか思えない。しかし日本を
本質的に動かしているのがああいう悪人であることも
否定できない。日本の過剰な経済繁栄の裏には過剰な悪がある)
ちなみに彼らの政治決定は力として生のまま社会に出てくるのはなくて
文化や情報や教育システムと一体となっている
つまり情報によって間接的に政治的圧力を加えるのである
(ということは、情報学や心理学、教育学に関わっている理学部や文学部
なども政治機関だということだ)
しかし、日本のこの政治にはなんの理念も筋もない。行き当たりばったりだ。
ともかくどっかの機関が出した知恵を官僚がこっそり使うという
繰り返しであるから、予測もできないし責任を取らせることもできない
しかも政官財は実に頑固にそれを表に出さない
矛盾はなるべく無視黙殺し、都合に合い、自分たちの理屈で始終
説明がつきそうなときだけ、周到な理屈と演技を用意して
居丈高になって出てくる。普段はウソを連発して必死にごまかしている
個人的に腹が立つのは、理屈をいう知識を持っている側(大人)が
無知な子供をだまして、だんだんシステムに隷従させ
尻の毛を抜こうと目論んでいるところだ。
特に生産性に関係ないものは迫害を受ける
抽象数学などは本質的に重要であるにもかかわらず
日本の約束では軽視される
私が勉強をはじめてから本当に価値があると
思ったのは数学で、ずっと数学に没頭していたし
ものの考え方も長らくナチュラリズムだった
要するに自然に根ざすものに価値を置くもので
人為的な約束事(とりわけ日本にある過剰かつ荒唐無稽なそれ)
を軽視する。しかし、社会的約束事を
無視すると日本では到底生きていけないし
ストレスもたまる。長く自然を尊重してきた私が怒るのも当然だろう
感動をもって学んできた自然の本質が社会で何の
パワーも持たず、どっかのクズが政治的都合で作り出した
荒唐無稽なウソばかり飛び交うのだから。
ウソというのはカネや流行語などがその骨頂だ
カネばかり追い回し、中身のない流行語を連発している若者などは
馬鹿のきわみで、政治家から無縁だと思っていながら
政治家の術中にまんまとはまっている
まあこの文章からもわかるように、日本の政治システムは
一見賢そうに見えて、実は必死でくさいものにふたをして生産を
こととし、身体を奴隷化し、政官財学の観念的プライドで
見栄をよくしようとしているだけだ。とても頭がいいとはいえない
(頭がいいというのはミスリーディングで、実態は脳の事務処理機能だけ
肥大化させて事務処理に必死なだけ。よくしゃべるが中身のない
そのへんのクソリーマンをみよ)。
自然的本質に基づく思索や国家設計を行う知的精神的余裕などまったくないし
身体性は変態低俗、頭だけでかいプライド重視のバカ国家だ。
日本は最近だめだというが、昔から身体を置き去りにしてきたため、
頭が通用しなくなったら落ち目になるのは当然だろう。
この変態が国際社会に勝てるわけないではないか。当たり前のことだ。
だからこそこれからは身体性を一流にする教育をしろ、それは実利だけでなく
日本を真のものにすることにもなる、といっているのだが
政官財から返事はない。日本は時代のリーダーになれと言っているが、
こんな変態国家が国際社会のリーダーになれることはありえないから安心してよい。
また、この頭だけの国家が国際社会のリーダーになることは相当でもない。
社会全体の質を低下させ、ただ国民も不幸になるだけだろう。
今の政官財がやろうとしているのは、ロールプレイングゲーム的な
虚構社会であり、要するにウソウソウソである。
内発的に真の自然に根ざす文明を築いていく契機が民族の中に潜んで
いないならば、私は日本などどうでもいいし、この先に希望などつなげない。
このままならはっきりいって
日 本 な ど ど う で も よ い 
ということだ。勝手にインフラの上でゲームをしていればいいではないか。
実利主義を続けるならば遠い将来も同じことだろう。本質的な
ものは永遠に得られないまま、空っぽの民族を何とか延命させるために
くだらない茶番が手を変え品を変え形を変えて飛び出てくるだけだ。
日本、ワロス。