この国の支配はみえにくいが、大人になればわかる。この社会では、ある種の線形世界の住人にならなければ、不安になるようにエンフォースされているのだ。つまり、自分の自由裁量で生きると、何がなんだかわからなくなる。そこで大人は、まず頭の中に既成の線形世界を作り、そのとおりに生きる。そうでないと、長期的にかならず破綻するし、心身不安定で統合失調状態になることを経験的に知っているのである。そういう非本質的な世界である。このような社会でありながら、基本権を基調とするなどという憲法を恥ずかしげもなく掲げていられるものである。


現代人そのものがクズというより、日本人そのものは太古の昔から変わっておらず、現代日本人が変わっているように見えるのは、現代日本人が法的に作り出されたものだからである。たとえばアホなタレントは、そういう人間がいるというより、アホなタレントという設定が先にあり、それを演じているにすぎない。ゆえに、アホだとすると、アホを演じている人間より、そういうアホを設定したプロデューサーということになる。どういう意図にしろ、そういうアホな設定を考え出したところに責任がある。