間違ってる人間が自分を変えるというなら筋が通るが、正しいことを主張する側が何かを変える必要などある訳がない。

何か希望があったらまず自分が変われというこの話も結局は価値観の相対化の手法の一つなんですよ。こうやって価値観を相対化させておけば悪人が悪事を指摘されても「どっちもどっち」とか「人それぞれ」とか言って言い逃れできるでしょう。多様な価値観とかの話も同じ。つまり価値観の相対化を促進させる論旨は、悪事を追求させないための狡猾な手段なんですね。こんなに悪党にとって都合の良い論理はないですからね。
逆に不変普及の正しい論理に収束しようという考えがあれば周りを変えるにはまず自分からなんて論理を持ち出す筈がないでしょう。
はいまた一個嘘がばれました。


まあ全体として何をしているかというと、異常な生産性を目途とした、矛盾し合うものであふれているシステムなので、それがなるだけ矛盾しないように反復継続して魔法を流しているわけですよ。そういう業務があるんでしょう。そしてそういう業務があるという矛盾さえも別の仕組みで解消している。まあよく練られていますよ。大人の仕事なんてのは要するに石になって右のような業務を機械的に行うことです。ちなみに、業者本人の正犯か、業者の手足になっているにすぎない間接正犯かは、ごっちゃになっているので区別がつきません。たまに、業者の活動に乗っかって同じ事をし、悪事に加担して利益を得ている共同正犯もいます。
いずれにせよ、異常な生産社会であり、いくら魔法を使っても、自然な対話を可能とする社会は回復できていません。まー、日本のしていることは、糞です。
あと、うかつにも最近気づいてんですが
日本人って人格がころころ変わりますね。人間として終わってますよ。
人格が変わるというのは、昼間はまじめなサラリーマンになり、夜は・・・、というようなことです。だまされていた子供がかわいそうです。つまり、中身はただの倭人にすぎないんですが、そいつがいろいろな役割を担ってかね回しゲームをしているということです。そこには本質的なものがない。

若いときからまじめに勉強してきた人は、日本がハリボテということは誰でもわかるはずです。実が奴隷社会で後は飾りなのです。これ分かったらいつでも死ねるレベルですよ。はっきり言ってこの国じゃ生きている意味はないでしょう。っていうか大人は大半が死んでますけどね。

このシステムを続けると経済が悪化するから改革せよなどと言ってる馬鹿がいますが、このシステムの本質的問題は、経済に対処できないことではなくて、そもそも人間社会のすることとして終わってるということです。要するに小学校から大学生活を経て社会活動、老後にいたるまで、人生のプロセス管理を緻密に作り上げ、未来をすべて現在化させているわけです。ある程度の予測不可能性はあるのではと思えますが、実際はほとんどありません。予測不可能性を発生させる異端者は同調圧力でつぶされ、ほとんど生き残りません。また、自由に生きるということは誰かにだまされることにつながるようになっているため、普通の知能程度の国民を想定すると、ますます不自由です。基本的に、人為が自然を食いものにするろくでもない社会なのです。

自然を生産につなげようとするんじゃなくて自然を自然のままにしとけよクソ老人。
自然に放置しといて文明が出来上がったら民族として認めてやる。