自由の本質は、放任である。放任によって生じる害悪を甘受しても、放任されて自由に浮動できることに価値を置くのである。この害悪を是正しようとして、自由に制限をかけると、そこで自由の価値が死んでしまい、それは公共の福祉と言うバランス論になってしまう。

解雇権乱用法理は、一見、自由権の最低限の制限のような印象を与えるが、実は、公共の福祉というバランス論によって出した結論を、むりやり「乱用」という言葉で説明しているのである。この乱用に「客観的に合理的で社会通念上相当な理由がない」という結論先取りの意義を与えることでそれを可能にしている。

これは次のように否定すべきである。そもそも自由権はその限界が明確でなければならないところ、「客観的に合理的で社会通念上相当な理由がない場合は権利濫用とする」という曖昧模糊とした臨界を与えることは、人権保障をないがしろにするものであり、違憲であるというべきである。