憲法の奥底にあるところの、秩序は見た目だけで良いという思想(おそらく19条に由来する)こそ、もっともおぞましく空々しいものです。警察や検察当局の意に沿うストーリーで調書や弁解を構成すれば即日釈放、これが私が警察署留置場と東京地検で実見した警察、検察実務です。私の房にいた22才の若者はショーウインドウを蹴り割って器物損壊罪(最大5年の懲役)で逮捕されていましたが、翌日の押送で検察官の面前で謝ったら釈放になったし、無銭飲食で詐欺罪で逮捕された60才の方も、反抗して4日連続で押送の嫌がらせをうけていましたが、最終日に留置係官のアドバイス通り、平謝りをしたらそれが信用されて逆釈になりました。ここにおける検察の判断には何も内容はありません。外形的に謝罪を構成すれば放免なのです。私に懲役2年を求刑した検察官は調書の論理を無視し印象だけで結果を決めているし、公判廷での反省文だけで執行猶予をつけた裁判官も実は同根です。本当に外形だけですべてが決まるスカ社会です。実体がスカで認識上だけ多様な社会など何がいいのでしょうか。これが2009年現在の日本国憲法の内実です。つまり内容のない形式的民主主義、人間失格の社会、これが戦後日本の結果です。こういうことは江戸時代以前からそうだったことは、加藤周一の「日本文学史序説上下」に詳しいですが、維新以後にやったことが、ただの意匠で、本質の土着思想が何ら成長せずに生き延びて今日の社会に浮上したことには愕然とするほかありません。