人権を公共の福祉で合理的に制限する、というドグマは、便利である。
人権を合理的に制限する、という言葉は、あらゆる勝手な利益考量を包摂できる。何でもいいから結論を出しておき、それは人権を合理的に制限した結果です、と言えば、通る。判断者が合理的と言ったものが合理的であるのがドグマの特徴だから、このテーゼは最強なのである。たとえば、賭博は怠惰弊風を誘発し、国民経済の機能の壊滅に至らせる行為だから、これを禁止することは合理的である、と言える。この方法で行けば、下手に客観的基準を定立しなければ、判断者が好き勝手に人権を制限できることになる。司法試験の憲法問題なども、判例に依拠し「人権は公共の福祉により合理的な制限を受ける」という基準を立てておき、これこれこうだから制限は合理的(ないし不合理)と書けば、論理としては間違いではない。
世界は無限のヴァリエーションで、しかもたいていは美的に認識できるが、世界の実在は1つで、しかも最悪レベルということを、刑事手続きで思い知った。たとえば、権利保釈制度がある、素晴らしいな、と認識することはできるが、一個の実在の世界では、86%の割合で、保釈請求却下される。つまり、実在の世界では、権利保釈はない。