システム自体終わってる

現代日本人のしていることは簡単で、ゴキブリが金と権力慾を感染させ合って一億総エゴイストとなるが、裸のエゴイストでは敗北確実なので、法律や常識や流行といった権威になるべく重畳的に自分を包摂し、自分の権威を高めた上で、具体的な人間社会の中で自分の立法及び執行を押しとおそうと努力しているのである。そうする以外に自分のエゴを貫徹できない仕組みなのである。よい家に住む、よい車に乗る、人前でおいしいものを食べる、自分はヤクザであるとか弁護士であるといった資格を誇る、お金を使う、ファッションで身をくるむ、流行の言葉を使う、といったことは、すべて、自分の権威を高めるのに役立つ。逆に言えば、ある人間の発言や行動がその社会で通るかどうかは、身につけている権威の質量および権威的構成の上手さによる。身包みはがされて留置場にぶちこまれた生の状態では、どいつもこいつも同じ人間で、みんなそこそこよい人で、話せば温かいのだが、街に出るとなぜか戦い合うエゴイストになる。いずれにしても普段はそうやって生きているのである。人人のすべての表徴は自分を権威に包摂しようとした結果であり、その人そのものではない。その人そのものの本質はエゴの塊であり、後は権威付けに過ぎないわけである。ともかく、個々人が金と権力慾のために必死で権威付けを行おうとし、その結果でもってお互いに争っている様子は、表面的にはふつうの市民社会に見えて、実体としてはとても見苦しい。というかこの世の地獄に見える。このカラッポで表面だけ装飾された工場ではそういう政治戦争が実行されているのである。

ちなみにこの社会にある全てはウソで政治の道具にすぎないんだから、本当にむなしいものである。その時々の政治に利用できるからウソが意味を持つ。そうでなければ、消えてなくなる、という法則がある。固有の何かはないのである。学校も大学も会社も実は存在しない。それらは箱で、そういう名前がついているだけで、在るのはそこでの政治である。もちろん、まったく何もないわけではないが、主として、何もない。大学なら、一部の研究者が本気で本当の研究をしていたり、一部の学生がきちんと学問をしていたりして、それは在るといえるだろうが、そのほか大半は、そうするフリをしているだけだから、ないのである。主として、ないことを正当化し、在ることを正当に評価しないのが今の腐れ粉飾社会である。ウソで良いよ、というどうしようもない社会なのだ。それに対し、まじめに実在を追求している人が目立たないところに追いやられる。どこの馬鹿が考えた社会なのだろう。