事件番号 平成19(あ)1785

事件名 強制わいせつ被告事件

裁判所 最高裁判所第三小法廷

裁判年月日 平成21年04月14日

裁判種別 判決

結果 破棄自判

原審裁判所 東京高等裁判所

原審事件番号 平成18(う)2995

原審裁判年月日 平成19年08月23日

裁判要旨 1 上告審における事実誤認の主張に関する審査は,原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきである

2 満員電車内の痴漢事件においては,被害事実や犯人の特定について物的証拠等の客観的証拠が得られにくく,被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上,被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合,その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質を考慮した上で特に慎重な判断をすることが求められる

3 満員電車内の痴漢事件について被告人が強制わいせつ行為を行ったと断定することに合理的な疑いが残るとして無罪が言い渡された事例

これだがね、論理法則に照らして不合理なんて抽象的過ぎて分からん、満員電車の痴漢事件では慎重に判断しろとか言うけど、慎重に判断とは何かさっぱり分からんではないか馬鹿が。合理的な疑いというのも何のことか分からない。こんなものが公正な判断であるわけがない。ただの独断である。事実上、立法である。本件痴漢事件という特殊な場合において、捜査機関、裁判所が、それぞれ立法をしているのである。俺がルールで、この件については俺がルールを作り出す、というのと同じである。事実上、その場その場の権力者がその場限りのルールを作り出して執行・処理しているのである。だからこの事件は、事実上、下級権力者から上級権力者の間の処理の体系にすぎない。警察がまず立法して執行する、検察が結論を追認する、裁判所が追認する、最高裁が否定する。しかもその時々の立法および執行で参酌したのは前後の文脈と四井の状況と権力者本人の直覚と気持ちに決まっている。事実上、人間の立法と執行しかなく、どこに司法があるのかと思う。そもそも客観的ルールがないのだから司法もあるはずがない。ほとんどは立法と執行なのである。それで、ある立法および執行を否定できる上位の立法権者の序列があるに過ぎない。