日本の私法のかなりの部分は法的安定性を欠き憲法31条に違反して違憲無効である

労働基準法18条の2(現労働契約法16条)は「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」と定め、これを用いた裁判例として「労働者に解雇事由がある場合においても、当該具体的事情の下で解雇に処することが著しく不合理で社会通念上相当と是認できないときには、解雇の意思表示は解雇権の濫用として無効となる。放送局のアナウンサーが、二週間の内に二度寝過ごしたためニュースを放送できなかったことは、就業規則所定の解雇事由に該当するが、右事故につき同人のみを責めるのは酷であり、同人の平素の勤務成績は別段悪くなく、同人は右事故につき非を認め謝罪の意を表明している等の事情が認められるときには、同人を解雇することはいささか苛酷にすぎ、社会的に相当なものとして是認することはできない。(最判昭52・1・31労判二六八・一七)」というものがある。「同人の平素の勤務成績は別段悪くなく、同人は右事故につき非を認め謝罪の意を表明している等の事情が認められるときには、同人を解雇することはいささか苛酷にすぎ、社会的に相当なものとして是認することはできない」と言っているが、一体「社会的に相当」とは何だろうか。そもそも「社会的に相当」の内容が分からないからこそこれを分析してルール化するのに、「社会的に相当」の語を前面に出してきたら、ルールにならないではないか。他にも民法1条に関し「電気通信事業者には、ダイヤルQ2事業の開始に当たり、あらかじめ、加入電話契約者に対して、同サービスの内容や危険性について具体的かつ十分な周知を図るとともに、その危険の現実化をできる限り防止するために可能な対策を講じておくべき信義則上の責務があった。(最判平13・3・27民集五五・二・四三四、加入電話契約者の承諾なしに生計を同じくする未成年の子が利用したダイヤル Q2情報サービスの通話料が著しく高額化した場合において、NTTが加入電話契約者に通話料の金額の五割を超える部分の支払を請求することが信義則ないし衡平の観念に照らして許されないとした例)」など、規定に存在しない義務を信義上の義務などと牽強付会して勝手に創出し、契約を一部無効にするなどの運用がまかり通っている。このような非論理的、不安定的で解釈者の恣意的判断を存分に許す規定が「ルール」としてまかり通っている日本には、腹を抱えて笑ってしまう。ちなみに、このような一般条項的規定に対して法律学者は「一般条項がないと法のけんけつに対処できず、裁判不能の状態が生じる」と弁明するが、ルールがないならないで、裁判しないという運用も可能なはずである。むしろそうすることによって、ルールというものが明確性を獲得し、ルールとしての意味を持ってくるのであって、一般条項のような広範な規定を設けてしまうと、ルールというよりは裁判所の裁判の方法論にすぎなくなってしまう。私が最高裁判事なら、こんなものは憲法31条違反で違憲とする。日本がこのような一般条項的規定や、諸要素を比較考量を許す規定を無数に設けているのは、結局のところ、大岡裁きをやっているということの証左である。裁判所は、あくまで大岡裁きをやっているのであって、それが私法上の言葉で無理なく説明できるときはそれで説明し、苦しくなってくると一般条項に頼るというわけである。判決書がいかにも法論理的で客観的に書かれているからといって、実像までも論理的だと考えたら大間違いである。日本の裁判は単なる言葉のマジック、天性の嘘つきどもの仕事であるから、ゆめゆめ信用してはならない。