私が首相になったら

ず産業金融中心社会を完全に止めてしまい、そこで得意になっていた連中を鬱と自殺に追い込み、逆に試験は得意でないが学問が得意な人たち(こういう人は結構いる。試験はできないが本を読むなど知的好奇心旺盛)が報われ、高位に上り、お金が回ってくる社会にしたい。そういう人たちで社会の上層部を固めてしまい、そういう能力がない連中は、社会の下層で単調労働とする。

こういう社会では、予備校に入っても無駄になる。一回試験ではなく、小学校から高校まで、教師に児童生徒の態度を調査させ、真に知的好奇心があると判断された者だけをそのまま国の一流大学に送り込む。これは厳しい規律と税金を大量投入して徹底調査するため、知的好奇心があるふりをしてもダメ。真贋は徹底的に見分ける体制にする(たとえば試験前だけ頑張り出す奴は排除する)。これまでの日本は、試験のような業績主義的なことができることをもって学力があるとしてきたが、これは完全な偽装であり、まずこれを撤廃するわけである。そして、真に学究的な人間だけ入学させる。そして死ぬまで優遇する。これが正義。これに伴い、予備校は無益となるから、滅びるのみだ。知的好奇心があるふりをする訓練をする予備校などないだろう。自分の子どもが真の意味で知的好奇心のない場合は、その家庭は絶望するのみだ。

それから、意味も分からないのに点を取るのは好きなスポーツマンタイプのお調子者のクソバカは最初から栄光への道を閉ざしてしまい、劣等者としてどこかの工場のライン工に送り込ませる。この体制では、いま東大にいるような奴でも、点取りが好きで調子よく入った奴は劣等者に転換し、逆に、二流大学在学でも学究的な人材は東大に送り込まれ、人生も優遇されることになるわけだ。

こういうことを説明してやったら、いかに今のシステムが、産業金融中心になってるかわかるだろう。そもそも産業金融中心というのは、普遍性のない例外的な思想である。私が提示する知的好奇心中心思想の方がどうみても普遍的に通用する思想であるし、正義に適う。今の日本は、あらゆるメディア洗脳により、産業金融中心思想とそれによって整理されたもろもろの社会現象を、正しいかのように思わせているだけだ。

例えば不登校だが家で自主的に勉強しているid:emile君は、無試験で東大に入れる。彼こそ、えさで釣ったり、厳しく言わないでも勉強できる人材だからである。逆に、産業金融社会で有利な地位を得たい一心で東大入試の準備をしているような必死なカス(多分、試験が終わって教養学部に入ったらそのまま遊び倒すに決まっているバカ)は、完全に門前払い。そういうふうにして回っていく社会が良いだろう。