東大法学部は廃止されなくてよいが考え方を変えた方がよい

たいていの人は本当は気づいていないが、暗い社会の影は大学入試のときから忍び寄っている。たとえば、大学入試でおなじみの数学の試験勉強は、真の意味での数学の勉強ではない。ベネッセなんかの模擬試験をみると、入試問題としては知恵を振り絞って作った形跡のある良問なのだが(おそらく会社に出題ノウハウが蓄積されているのだろう。それがばれるのが嫌で敢えて出題の趣旨を隠したり、解答冊子が市場に出まわらないようにしているのも会社らしい)、それは基礎的な知識を基にして、落とし穴に落ちないように慎重に検討して正解に辿りつく能力を見るという意味での良問ということであって、学問として良問ということではない(しかし教師はこの辺の違いをあえて教えない)。日本の大学の数学入試は、真の数学試験ではなくて、数学を使って作ったサラリーマン検定試験のようなものだ。要は、色々な前提を元にして、なるだけ物事に慎重に対処する力を見ているのである。これは社会に出た後、サラリーマンがしていることに他ならない。しかし、何度も言うがこれは数学ではなくて数学もどきであり、実質はサラリーマン試験だから、解いていて面白くないし、落とし穴が多くてひねくれているので、不愉快な思いになる。私などは受験時代、こうしたサラリーマン試験を無視して、より本当の数学に近い問題に熱中していたので(たとえば『大学への数学』とか)、大学入試は苦労した(今思えば東大数学などはサラリーマン試験の最たるものだった)。大学入試が実はサラリーマンの仕事に結びついていることはふつうは後で知ることになるものだが、知ったところで何もうれしくないものである。こういう算段をつくっているのは東大法学部だけれども、この社会を暗くしているのはまさにこの部局だろう。人間の幸福というものが分かっていない管理大好き馬鹿人間の巣窟である。