Feuillesに告諭

Feuillesが昔言っていたように、彼女は高2でセンター試験の範囲を終え、多数の東大合格者を輩出する進学校の出身者であることが認められる。思うに、このような進学校から東大に進学するような者は、いわゆる「よい子」であり、社会がすでに用意しているベルトコンベアに乗って人生を歩むことを小さいころから決めていると考えられる。しかし、世の中の圧倒的多数の子どもは、よく計画された人生のレールなど知らずに、無明の中を自分の判断で強かに生きているのが通常である。また、彼女は、「私の学校では高2までにセンターの範囲を終え、高3は数3Cや理科をやり、勉強はあまりせずに遊びも読書もやり、バランスよく学校生活を送っていた」と言うが、高2までに履修範囲を終えられるのはまれなことであり、そのようなことができるのは、親の計らいや都市部の優良な学校など相当恵まれた環境にあるから可能なのである。世の中の通常の子どもは、貧困または荒廃した家庭や劣悪で授業進度の遅れた学校、知的交流や知的情報がほぼ遮断された居住環境など、厳しい現実の中で生きており(そのような子供が成長していわゆる3Kと呼ばれる社会の下層部分を支えている)、そのような環境にある圧倒的多数の子どもに彼女と同じような計画的な人生を送ることを要求するのは酷である。要するに、彼女は温室育ちのお嬢様であり、全国的に見て非常に特殊な世界観を一般化されても困るというわけである。ところで、彼女のようないわゆる「よい子」は、小さいころからある一定のレールに乗ることを決めているため、そのレールが禁じている言論や行動は一切拒絶しているようである。すなわち、そのレールが予定していないことは、たとえ真理であっても、頭に入れたくないわけである。しかし、レールに乗る人生というのは、ある種の英才教育なのであり、自然な人生とは違うのだから、そのレールの論理を一般化することは異常なことというべきだろう。結論するに、Feuillesはある特殊なベールに包まれた人生を歩んでいるのであり、そこから外に出てくる気がないのであれば、まともな対話など永遠にできないだろう。彼女は、自分がいかに特殊な人生を歩んでいるのか、自己を相対化して気づくべきである。