日本の現実とは、官僚が仕組んだシステムと、東大を背後に控えた官僚機構の巨大な知恵、知識だろう。日本の権力は、それらの知恵を結集した膨大な法律を通して、官僚の判断で行使される。日本の政治家や民間人が、あのひ弱そうな官僚に操られてしまうのは、日本人がすでに学校システムで官僚に都合のいい人材に仕立て上げられているからである。非官僚は、いかに虚勢を張ろうとも、もともと成績劣等者であり、かつ、学校で去勢されているなどの理由で、社会人になるころには、システムにまったく逆らえなくなってしまう。これに諦めた政治家、マスコミ、民間人は、次善の策として、システムと同化してしまい、自分より下の人間を見出して、それに対して官僚と同じことをやり始める。マスコミは国民を操り、民間会社では部下を操り、親は子どもを操る。
もっとも、そのような官僚機構でも、自分らがいかがわしいことをやっているのを知っているので、私のような者に叩かれると、反論できない。ちなみに、非東大法学部卒が叩いていれば、官僚はそれを「官僚に対するひがみ」とレッテルを貼って処理する。これまでにも、立花隆(文学部卒)や養老孟司(医学部卒)が官僚批判をしてきたが、すべて、非法学部卒のひがみと揶揄された。しかし、東大法学部卒に叩かれている場合、逃げ道がないので、認めるしかないわけである。しかも、私の場合、教養学部時代から官僚批判をしていたので、国家試験に合格しないからとか、成績劣等だから叩いているのだ、と思い込むこともできない。要するに、このブログはクリティカルヒットなわけだ。

東大法学部卒という身分は、日本の支配者である官僚とほぼ同格なのだから、俗世間的には私は日本の支配者である。日本のあらゆるところに張り巡らされた官僚的仕組みの統括者たる資格を有するわけである。高島など取るに足らない。このように言うと、連中はすかさず、ならば働け、というが、就職に隠された罠に気づいているので、私はそれをおもんぱかって様子を見ているのである。しかも私はブログのとおり、思想的に高邁であって、現状維持的な官僚機構になど価値を見出していない。また、日本の茶番にも気づいている。気づいているからこそ本物を求めている。私はそこまで理解する稀有な若者である。かくのごとく私は賢い。頭がよい。