この国には本当に筋がない。

街を歩くと物事が整然と進行しているようにみえるが、それは本当に固定された上っ面だけで、それを引っぺがすと、その日暮らしで明日も知れない人間が本当に何の法則もなく生きている。様々な人間が、その局面局面で思惑を交錯させて生きているだけなのだが、その際に神話的構成をとる習慣があるため(学校で植えつけられている)、第三者からみると一見整然と生きているようにみえるにすぎない。ところが、個人の瞬間瞬間の行為にはなんの正義も倫理もなく、たんにその場その場の、主として自己利益を中心とした行動決定があるのみである。この行動原理は、多くの場合、エゴイズムに突き動かされた実際主義と断定してよく、そのエネルギー体が神話的構成をとることで(神話的構成をとること自体もエゴイズムである、なぜなら構成をとらないと不利益があるからである、これを俗に「ウソをつかないと生きていけない」という)、神話が走り続けている関係にある。ビート武が、日本はウンコで走るクルマ、と喝破したが、それはこういう意味である。このシステムは、実質がエゴである上に、神話は実在ではなく、利益を生む機械にすぎないため(「女は産む機械」というときの「女」とは機械の構成要素としての神話的な女であり、その構成をとる前の生の女ではない)、日本が真に目指しているのは究極の実際主義である。すなわち、その日その日、最大限の生産があがればいいくらいにしか思っていない。要するに、この国に持続的に実在するのは、個人のエゴと機械だけであり、機械がなくなれば無秩序になって崩壊し、エゴがなくなれば機械が動かなくなって壊れるのである。精神とか正義とか道徳とか文化とか理性というものは実在せず、機械とエゴという、海よりも深いエゴイズムが生み出したシステムのみ存在する。