相手が何か律法上の文言を唱えてきたならば

最終手段としてはそれはウソだと言えばいいのだが、これは言うと自滅する人が多い。裁判所で負けそうだから憲法無効論を唱えるようなものである。しかし憲法無効を唱えるとたとえば自分が弁護士なら弁護士の存在否定になる。そこでなるべく下位レベルの言い訳を見つけようとする。

子どもが勉強しろといわれたとき、反撃するのは難しい。なぜなら勉強しろという文言は世間の常識から出ているので同じ常識上の文言の組み合わせで対抗せねばならないが、直接にはみつからないからである。勉強して何になるの、とか、より詳細な説明は、子どもの常套文句だが、これは通じない。なぜならそれが正しいかどうかではなくて常識にないからである。勉強しろ、に対抗できるものは、同じくらい世の中に通じていて、しかも同じくらい簡潔な文言でなければいけない。熱がある、とか、明日は早朝練習があるので今日は寝る、といったことである。

常識で通用していることから、頑張って構成をする方法もある。勉強勉強っていうけど、こないだ東大出て逮捕された人がいたよ、勉強ってそんなに大事なの、とか。しかし、「あれは例外だ、言い訳するな」という文言には勝てない。親というものは、常識から様々な文言を授かっている。常識の定立権がマスコミにあるので、立法をするわけにはいかない。そうすると子どもは勝ち目がない。身体問題を言い訳にするしかない。

こういうふうに現実はなかなか難しい。