公共の福祉とあるが、

この内容を立法しているのが官僚で、自由に解釈しているのが裁判官ということを証明できれば、公共の福祉とは官僚と裁判官のことである、という法命題を主張してもよいのではないだろうか。同様に、常識というのがあるが、常識とはマスコミが作っていることが証明できれば、常識とはマスコミのことである、と主張してよい。後は証明のための資料を揃えるだけ。私の中ではこれらは証明できているという心証があるので、私の体系においては、官僚と裁判官が公共の福祉であり、マスコミが常識だという命題は確立している。弁護士は「裁判官が社会通念の形成者と言われている」と言っていた。次に官僚と裁判官がただのクズであることを証明すれば、法と常識はクズ、ということが主張できる。弁護士は「裁判官や検事が偉いと思ったことなんてない。ただの人間のクズですよ」と言っていたし、このあいだの殺人事件からすると、やはりクズなのではないだろうか。また、国民の中では、官僚の前にクズをつけるのが常識になっている。私の中でもクズだという心証があるので、結局、私の体系では、日本法と常識、ひいては日本はクズということになる。この結論は、最近私が読んだ日本の歴史に関する様々な考察と、そもそも日本人が生まれてから大人になるまで何をしているか、という事実にも適合し、背後にも説得的な思想を持つといえる。