世の中には、確かに最悪な現実だが、そうでもしないとご飯が食べられない、という見解を述べる者がありますが、私見によればこれは失当です。そもそも、ご飯が食べられればよいのなら、日本全体を拘置所化して、一人一部屋の独居を設け、行政官が国民全員を合理的に管理した上で、3食512円でご飯を作らせて、配当すればいいと思います。そして、スナックやお菓子などは余計なものなのでいらないはずです。そういうふうにすれば、こんなに働かなくても、ご飯は十分食べられるでしょう。現実の人間は、独居で規律正しい生活を送るのを嫌がり、外に出て飽食の限りを尽くしています。ほとんどの者が食べ過ぎてダイエットをする始末です。こんな現実で「食べるためには仕方がない」という理由は、ひからびて通用の余地がありません。素直に、集団的エゴイズムだ、それに従わぬ者は排除せよ、といえばいいのではないでしょうか。私見を補強するために文学者の故加藤周一の言を援用しますが、日本にはすでに儒教も仏教もなくなった上、国家神道(これは倫理性があるわけではない)も戦前の反発で消えかかっており、今日本に残っているのは、実際主義とエゴイズムだけなんだそうです(「日本はどこへ行くのか」岩波ブックレットの要約)。

俗に言えば、日本人はクズで卑怯でゴキブリみたいな民族ということになるわけですが、反省はしないのでしょうか。私見では、日本人に必要なのはその民族性に対する反省と改善だと思っており、新しい虚構を用意することではないと思います。