神話的社会においては、ある言葉ないし言葉の連関をみたときに、それをどのように解釈するかには、個人の価値観が色濃く反映する。同じ言葉は人によって様々に見えているし、一応、好き好きに解釈してよいことになっている。しかしその中にどうしても公定解釈のようなものがあって、一定の権威ありと認識された機関が「これはこういう意味である」「こういう場合にこの言葉を適用する」という事例を見ることによって、ある言葉の解釈につき強力な一個の体系があることを知る。そして、個人は、他人に主張するとき、勝つためにどうしてもそれに寄り添う。そうすることで、結局は権威を受容しているのである。権威を援用していながら、別の場所で、権威なんかどうでもいい、と言えば、ただの矛盾である。もし自分の体系があるならば、それを突き通すべきである。都合によって権威を援用したり、しなかったりするのは、ただのエゴイズムである。