いっぱしの高学歴者なんてほとんどロボットですよ。念仏ロボットです。

米国や欧米のように、人間として勉強をして一流大学に入った秀才ではなく、機械的に勉強してお経ロボットとなって試験で高得点をあげ、機械的に出世してきたダミーです。こんなもんただのバカですよ。自分がロボットということにも気づかなかったアホです。私は、灘や開成やラサールからではなく、日本で一番偏差値が低い地区から独力で東大に入ったことから分かるように、誰かにすすめられれたり、誰かの計画のために勉強したり、ロボットのように利益のために勉強した者ではない。純粋に人間として勉強が面白かったんで高校在学中は自然に勉強してたんです。大学入った後も自由にやっていた。面白いと思えば自分で難解な数学書を買って読んでたしね。しかし、受験勉強と大学はうざいですよ。カリキュラムやセオリーというのがあってそれを押し付けてくる。最終的な社会は最悪だ。真っ暗の奴隷社会だ。これはクソ官僚のプログラムなんだよ。東大はカス。何が一流大学だよ。いまや国立大学法人法という呪いの中でドサクサにまぎれて如何わしい教育している工場になってしまっている。あと、2chとか使って、あるべき大学生みたいなステレオタイプを垂れ流してくる。いい加減官僚は死ねよクソが。このバカどものせいでさんざん大被害を受けた。
庶民は官僚は頭がいいと思いこんでるが、こいつらのしてるのは、ありとあらゆる言語的テクニックを使って念仏で呪ってくる、それだけだよ。まんすけなんてその典型。まず法律がウソだしね。日本に人権法、人権憲法なんぞないよ。六法全書は本質仏教の念仏であって、その念仏が壮大な形式論理の体裁をとっているだけ。形式論理の根本にあるのは、公共の福祉による人権制限という意味のない前提であり、制限程度に相場はあるものの、事実上は何でもありの前提だから、そこから形式的に推論していった結果もなんでもありというペテン術なんだよ。大事なのは、本質が念仏だということ。つまり、形式論理ですらない。念仏が形式論理のふりをしている。だから念仏。正確には認識論。つまりそう認識しているだけのこと。たんなる箱の中で詐欺師がインチキ商品売りつける場所をスーパーマーケットなどと思いこんでるのと同じだよ。