愛なんぞない

なんせこのゲームは、愛や知的好奇心や科学的探求心といった大事なものではなく、生々しい人間の相互憎悪や嫉妬を原動力にして動くシステムなんで、人間の間に真の愛なんぞない。ただ、相互憎悪で動くと矛盾が発生するから、これを緩和するための愛の名はあり、法律なんかそうしたものだろう。要するに、愛の実はわずかにはあるがほとんどは憎悪と嫉妬と敵対だし、愛だ愛だって言ってるのは矛盾緩和のための嘘。真の愛とか言って活動してると勘違い馬鹿と揶揄されるような国。本質が官僚の設定した盤上で奴隷労働するだけですからね

宮沢俊義が言ってる内在制約説って要するに人権には公共の福祉という呪式による制限が内包されてるというトンデモカルト教の説なんですわ。ところが憲法論がいかにもアメリカ憲法のそれに似せて作られてるので子どもは気づかんのですわ。大人も故意に騙してるしね。まあはっきり言って内在制約説ってのは教祖宮沢が言うから信じなきゃいけないってしろもので、それ以外に根拠はありませんよ。日本国憲法なんぞオウムの麻原が言ってることと同じです。んで内在制約とは簡単に言えばある人の行為は他の人の行為によい影響を与えるように制限されねばならないというものです。つまり、人権が2つ(x、y)ある社会があって、xを増加させるとyも増加するところまではxを増加させるが、yが減少をはじめるとそこでxを制限する、ということですかね。でもこれって結局利益考量してるし、基準(何をもって目的関数とするのか)も不明だから、やっぱり憲法も建前という説もありますけどね。つまり憲法さえも呪式で結論は一部幹部の思いつきという最悪三流の政治しかないという現実です。思いついた結論はみんなのためになるものだ、と権力者が断定するわけです。こんなもん憲法としての客観性がないから建前と考えるしかありません。なんだかんだ憲法さえ形骸で、日本の真の法は、主権者官僚のご都合主義だというわけです。もしくは国民とは官僚のことで、公共の福祉とは国民還元利益(ご都合主義)だと言ってるから、何も嘘はついていない、という論法を使われる可能性があります。いやはやつまらない上に方法論が最悪としかいいようがない国ですな。日本つう国は大学があったり科学と言ってみたり、科学がある近代国家みたいだけど、それ形でしかないんだよね。大学も科学も形式でしかない。実質は常に官僚の思いつきなんですよ。だから東大なんて学術機関とか言ってますが、学問とは無関係です。法学部は法学をやるわけではない。政府というオウムの幹部を養成するところです。いってみりゃ古代の魔法呪術社会ですよ。卑弥呼の社会。んでもって警察による奴隷社会。本気で最悪の国です。