日本にはアメリカのような自由や人権があると、小学校の社会の時間に先生がおっしゃっておりましたので、自由や人権があるという前提で生きておりました。ところが、先日、東京大学を卒業した親戚のお兄さんに教えてもらったことですが、先生が言っていた自由や人権というのは、アメリカのとは微妙に違っていて、そういう形式しかないとのことです。最初はよく分からなかったのですが、お兄さんの説明をくり返し聞いているうちに、段々と理解できてきました。僕が習っていた自由や人権というものは、まず形式でしかなく、しかも、よく意味の分からない公共の福祉という概念によっていろいろ制限されており、アメリカで言うような自由や人権とは全然違うものがあるだけでした。どうりで、教えられたとおり自由に生きていたのに、周囲と色々不和が起きたり、意思疎通が滞っていたわけです。学校の先生は、こっそりと、そんなものはないよ、と教えてくれていたらしいのですが、正直言って子どもの頃の僕たちにそういうのは理解できないと思いますし、親戚のお兄さんが教えてくれなかったら、今でも理解出来ないと思います。やっぱりまぎらわしい教育をしてきた先生がわるいと思います。ルールの後出しはずるいです。先生は嘘をついていないし、わるいことをしていないと思っているかもしれませんが、現実の子どもとの関係では、言っていることややっていることはどうみても自分たちのつごうのいい秩序を維持するためのものだと思います。嘘じゃないとか矛盾はないとかいうのは、先生の頭の中の話でしかなく、その話どおりに現実の子どもと接触するときには、子どもに対してわるいことをしていると思います。たとえば、日本に自由や人権があると教えるのは、先生の頭の中では自由や人権というのが形式にすぎなくても、子どもは実質のものだと受け取るし、それが形式でしかないことを子どもが理解するのは無理です。だから、先生は形式と分かっていながら自由や人権を説いても、子どもは本当の自由や人権があると思って生活する可能性が高いです。だから、成長してから形式と分からせるような教育は、ひどい人権侵害です。先生はわるいです。先生が矛盾していないのは先生の頭の中だけのことで、先生はいいことを言って本当は他の先生や上級学校の先生と共同で、僕たちをつごうのいいように料理しようとしているだけです。それが公共の福祉じゃないでしょうか。先生はいいことを言うのをやめて、社会がどうなっているのかちゃんと教えるべきでした。嘘を言ってだまして都合良く料理して食べるというのは、支配者の恣意をことばを変えただけじゃないでしょうか。それに先生は僕たちを愛してくれていると言いますが、本当には愛してくれていません。先生たちは僕たちに番号をつけて管理し、僕たちがすすんで勉強するように愛想のいいことを言って騙しているだけで、本当は僕たちをばかにしたり、利用しようとしたり、最後には自分のための奴隷にするつもりだ、と親戚のお兄さんが言っておりました。給食を食べさせてくれたり、健康診断をしてくれるのは、長持ちする良質な奴隷を維持するためのもので、大人は僕たち自身のことなんかどうでもいいんだそうです。もちろん、こういうことを考えているのは、金森越哉という一番上の人で、後の人は上の人の計画にしたがってなんにも考えずに奴隷みたいに働いているだけだとお兄さんが申しておりました。実質がそういう近代以前、いや、古代レベルの社会なのに、口で言うことだけは立派というのは、最悪ではないでしょうか。先生は、自分が先生と呼ばれるにも値しない存在だということを理解すべきだと思います。現実は一つもよいところがないからといって、それを認めたり改善しようとするのではなく、よいところばかりみたいな夢を描いてその場しのぎにしているだけなんて、人間として終わっていると思います。大人は最悪です。日本は最悪です。先生は早くそれを認めてください。