法律の中には、

なぜこれが構成なのか、と疑いたくなるものが多い。たとえば、民法110条の「権限があると信ずべき正当な理由」の「正当な理由」とは何か。これは「正当理由の判断に際して斟酌される事実は、多種多様であって、結局のところ、もっと広く当該事案の具体的事情を前提とした上で、要するに本人と相手方のどちらがより保護に値するかという総合的判断がなされ、それが正当理由の有無の判断という形で示されていると見るべきことも少なくない」(平井宜雄・判批・法協80巻3号389頁)。この批判などはもはやドグマーティクを逸脱して、ほとんど裏側の政治事情を暴露したものとなっている。つまり正当理由と言っているが、それは実体のない箱やシールみたいなもので、実は事案ごとの裁判官の利益考量、いや、結局は、こっちを勝たせてあげようという気持ちだ、と言っているのである(多分判断の本質は気持ちである)。もっとひどいのは、消滅時効の援用が権利濫用になるとして無効とされた判例だが、これは、援用者が一家の息子であり、相手方がもう年老いていながら子どもを養っている老婆であり、苦労もしている、などという「諸事情を総合考慮して」権利濫用だというのである。そして判例解説はあろうことか「諸事情の総合考慮」を漠然と言いつつも法律構成だと言っているのである。このような法体系はもはや法ではなくて、権力担当者のご都合だと主張してもいいのではないか。いずれにせよこういう底の抜けたいい加減な構成をしてウソをつく国だから、どういう局面でも言っていることに意味はないに決まっているのである。