日本は昔から変態です。

中世の随筆や江戸時代の春画をみればエロばっかで、学校の教科書は評論らしい部分を抜いて構成した虚構です。日本をまともな国にみせるための
戦前がまともに見えたのはヒステリックを起こしてドイツ式で固めてたからで、敗戦でアメリカに切り替えたということは所詮その程度だったってことです
江戸後期にはええじゃないかとか踊り狂う程度の国民性で、昔からたんなる低級雑食変態海洋国家でしかないので、受験勉強でいくら勉強しても社会に出るとノーマルに戻り、
中身がなくて頭でっかちのロボットが出来上がります
国民に知性は無く、実利折衷主義で、実利にならなければ評価しないゴミばかりです
中央省庁の法律相談で債務整理や刑事事件などしか扱わず抽象的な法体系の解釈について説明するコーナーがないのもそのせいです
実利に関することしか関心が無いんです
そもそも古来から日本には科学という概念がない。
いや現にあるじゃないかという話は控えて貰って、例えば江戸時代などでは発明は積極的に禁止されていました。
これは私の見解では個人が工夫することが政府から見ると危険行為だということを江戸幕府は理解していたからだと思っています。
戦略、戦術と言ったものも各個人がそれぞれ考えていてそれを体系化して誰でも利用できるようにしようという考えはありませんでした。
誰でも利用できる力、というものは権力者にとっては脅威そのものなのです。島国日本はお上の言うことを絶対とする風潮でなければ統治できなかったというのは大きな理由のひとつでしょう。
つまり日本では科学的思想というものが普及することは国家存続に対して脅威だったのです。この風習は今でも根強く残っているようです。
だから国民の大多数は自らを愚かなままでいることを望み、ひいては近視眼的な自己利益のために正義を主張することを忌み、とにかく争いを避けようとする性質を持っています。
しかしこういう思想土壌は現代の世界的状況から見ると極めて異端です。何しろ正義が何かという定義がなく、ただひたすら争いだけを避けようとするのですから。
これでは外患にも対抗できないし、内部の問題も無基準にその場その場のご都合で判断されるような子供が運営するような政府になるのも無理はありません。
ちなみに戦後の学生運動は単なる政治的不満を偉そうな知識で隠蔽しただけの茶番であり、不満が収まる70年代には就職戦争に切り替えていった節操も無いクズどもです。つまり不満が爆発してただけで、不満が消えたら止めるわけです。とんでもないゴミです
昔正義と言ってた連中が今度は悪に寝返ります。東大法学部の教授などは昭和40年代までは正義を唱えていたがその後に腐り、今はロースクールで金儲けしてる。万事この調子で一貫性がない。
まあ好景気が来るのが国民全員の悲願というのが今の時代の日本ですが
好景気なんてもう無理だからざまあみろです。
そろそろ茶番に懲りて本物の社会を目指せばいいのですが
世の中どこ行っても杓子定規で困る。窓口も杓子定規、塾や家庭教師も杓子定規に教えないと子どもが狂う、自己裁量はない、本物は教えられない、公道は歩き方が決まっている、講義は受け方が決まっている、講義は教え方が決まっている、すべてが無駄の出ないように自動機械化されている。馬鹿な偽者が得をする社会です
いかに内容が無い三流馬鹿でもマニュアルどおり誤らなければ魔法のような効果が生じる