フランスの史実を巧みに宗教化して導入するコソ泥国家日本

ウォルフレンの著書『日本権力構造の謎』等は総合図書館で借り出して丹念に読んだことがあるが、その趣旨は要するに「日本にはシステムがあり、それにからめとられ、幸福になれない」である。しかしウ氏はなぜ肝心な点が読み取れないのであろう。日本は単に一部の識者が一億のサルをレトリックで心理束縛して操作する動物園でしかないという事実を。

まあそれはさておき、日本では大日本帝国の敗戦の後に革命が起こって市民が生じたとされている。具体的な歴史をみても、1945年の政変は明らかに革命的なものであって、この歴史の流れは革命史観が親和的である(解放史観と革命史観の二元論をとるウィッグ史観というものもあるが)。諸外国ではともかく、日本では一種の革命によって市民が創生されたわけで、この路線を採らないと憲法や法律が正当化できない。しかし我が国のこの路線の不徹底ぶり、要するに、破れかぶれぶりにはほとほと呆れる。佐伯啓思の『「市民」とは誰か』の168頁に「こうなると、ヨーロッパで「公」と考えられる世界へ、我が国では「私」がはみだしていくのは当然である。中略、しかしこの私はしばしば個人の感情や個人の利害打算である。つまり個人の感情や利害にすぎないものが堂々と公の世界で大手を振って歩き出すのである」などをみれば分かる。市民論を論じる我が国の評論文にさえすぐにこういう記述が出てくるのだ。これを知りながらなぜこの佐伯という男は200頁も論説を書いたのか。レトリックであるにしても下手過ぎる。結論は要するに「日本は公や私の服を着ているが、中身はSMプレイである」ということだろう。あえて批判するなら、日本社会が1868年に武士政権を捨てて急に帝国を樹立したとかいう流れや、1945年に帝国を止めて市民が誕生したという流れも抽象的過ぎる。普通の国家であれば、武家政権から何の前触れもなく帝国が誕生することはないし、また帝国が敗戦をきっかけになくなって自由市民社会が成立するというのがいかにもおかしい。要するにその当たりの説明が欠落している。とりわけ日本史における「ええじゃないか」概念は、日本帝国成立の神話性を露呈するもので、帝国が実在であるとしなければならない法制史の都合から、ええじゃないかは抹消しなければならないはずなのに、なぜ堂々と記載しているのか。また日本社会内部における偶像破壊的傾向に対するお上の規制も不充分であり、ご都合性が露呈している。最近では2ちゃんねるをみれば分かるように日本社会が自由市民社会であるという神話はほとんど崩壊している。神話を徹底する気もないのである。そのように、武家政権から突然帝国が出現し、帝国が崩壊して自由市民社会が成立したという苦しい話から生まれた日本国憲法の内容も苦しいことはすでに見たとおりである。そもそも日本の社会科学者の議論の仕方は卑怯である。たとえばフランス革命はあったのである。フランス革命は絶対王制に対するブルジョワの革命である。フランス人の中にあった絶対王制的な身体観念が革命という実行によって自由民主社会という身体観念に打ち破られた、と、それだけの「事実」である。にもかかわらず、日本の社会(似非)科学者は、フランソワ・フュレやリシェ、トクヴィルの論文を得意げに持ち出し、フランス革命は実は行政権力の集中過程であったなどとして、ほらフランスもシンボルで嘘をつくじゃないか、ウソをつくのは日本の専売特許ではない、などと実証まがいのことをしてみせる。しかし、こうした薄っぺらい評論が言葉の彩であることは、日本の実情に適するように修正主義を導き出そうとしてくる法律学の議論と同じで、背後に結論正当化の動機があるのであって、全く科学的でない。こういうクソ論文を書く似非社会学者は腹を切って死ぬべきである。再度言うようにフランス革命はあったし、フュレやトクヴィルが修正を加えようとしても、絶対王制から自由市民社会への以降という根本に変化はない。フランス革命がそれと性質の違う全然別のものだということになったら、それは歴史事実に対する修正的解釈などとは呼べない。大体歴史事実を複合的なものと言ったらお終いである。それを言ったら何でも複合で矛盾しているではないか。フランス革命を多元的な出来事とするにせよ、それはきちんと多くの元がどういう具合でフランス革命を構成しているかを厳密に分析しなければならないのであって、複合ということとは違う。複合した事実はたんなるカオスであって、それをそもそもフランス革命などとして纏め上げることが誤謬である。

ソブールなどの革命史観に対してフュレらが行ったのはせいぜいその修正や多元化でしかなく、日本の佐伯が大げさに言うように、フランス革命自体があたかもなかったというようなことではない。絶対王制から革命を通じて近代社会へ、という図式は、日本の似非社会科学者が勝手に頭に描いていることであって、フランスには絶対王制から革命を通じて近代社会という身体概念の変化が確かにあり、フュレらが批判を加えたところでその根本は変わらない。にもかかわらず日本の似非社会科学者は、修正主義をおおげさに持ち出して読者を驚かせるように書き立て、あたかも元の歴史事実さえなかったかのように錯覚させる。これは修正主義や多元主義こそ当たり前であって一元主義は妥当でないと読者に印象づけ、日本の歴史解釈における修正主義や多元主義を正当化する卑劣な手法である。ちょうどベッカリーア、フォイエルバッハの旧派刑法学やロンブローゾ、リストなどの新派刑法学などが二元化していく過程と同じであり、フュレやリシェ、トクヴィルは、それと同じことをしたに過ぎない。フランス革命が多元的であるにせよ、フランスには絶対王制から市民社会への変化が確かにあるのである。なぜ我が国が革命史観や解放史観といった単元論を回避するのだろう。それは、我が国の歴史上の事象を説明する上で、単元論が不都合だからである。そもそも日本の歴史のように出鱈目なものを一つの説で比喩的に説明するのは苦しい。そこでなるべく修正論や多元論に傾くのである。そして単元論をこっぴどく批判する。本当は単元論の方が事実に合致していたりするかもしれないにも関わらず、修正主義が出現すると、当該国内では少数説かもしれないのに、あたかもそれが多数説であるかのように錯覚させながらそれを採用する。そして、修正とか多元という言葉の中であやふやな色々な事実を説明しようとする卑劣極まりない神話的歴史解釈を展開するのが日本の劣等社会科学者の常套手段である。ちなみにいわゆる市民の誕生というような概念を定めた上でこれが革命なのか解放なのかそれとももっと多元的なものであるかというときに、1945年における日本帝国の解体過程や憲法成立を説明するに当たり、当然、多元的過程という説が都合がよい。45年前後に様々な事実が多元的に進行して日本に市民が誕生したという説を採れば、有象無象の真の歴史事実をその中に隠蔽できるだろう。このような考え方を日本に採用する過程で、フランス革命の修正主義は与って力があるのである。