例えば東大法学部で行政法の試験を受ける場面を考える。この試験は講義に出て教授の意向意図を把握し、それを念頭に答案作成しないと優をもらえない(どころか不可の可能性もある)。この試験で笑うのは教授と教授の愛人学生であり、死ぬのは一般学生のみならず、行政法を論理的に思考する者である。行政法の定期試験はノートの趣旨に沿ったことを書かねばいけない為、そこに論理思考や科学という要素は微塵も存在せず、当日に笑うのは教授と教授の講義を愛した学生であり、独自の解答を書いた者はせいぜい可か不可の憂き目に遭う。大学なのに恣意的な教授を笑わせるという腐れた制度が東大法学部だ。具体例。交告尚史教授の行政法第二部試験の第二問に「裁決固有の瑕疵」を説明せよと書いてあるので教科書どおり形式的に説明しても高得点にならない。日本行政法システムにおける裁決固有の瑕疵の実質的意味にも言及し、さらに講義で同教授が言及したことも書いておかないと優にならない。つまり東大法学部が求めているのは行政法という科学を理解しているかどうかでなく、行政法という文学のセンスと教授への愛であり、あたかも9世紀の大学と同じなのだ。なぜ東大法の教授が脅迫されたかは明白。奴らは科学をすると称して学生を募集し、実質は文学の修行をさせ、しかも自分を愛さないと好成績を与えないという中世以前の取り扱いで学生を翻弄し、不要な参考書を購入させて金員を騙し取り、受験生や学生に塗炭の苦しみを味わわせ常に高笑いをしていたから

子供や若者には知らされてないがぶっちゃけ親や会社の人間なんて単なる凶悪犯罪者なんだよ。その凶悪犯罪者が幾分大人しく見えるのは法律が情報で雁字搦めにされてるからであり良心等ではさらさらない。2chでも若者が親や社会を好意的に見るように情報操作されてるがとんでもない。卑劣な悪魔だ

国家経済のために勉強するという者には飯も金も渡ってくるが、純粋数学のために勉強するという者には飯も金もやってこない。が、そうすると、目先の利益のために学問をするのかと批判されるので、実益目的の勉学者だけ優遇してる事実を隠蔽するために色々な言い訳を考えてきた。法律はその一大蒐塊。官僚の独善や暴走を完璧に抑止するシステムを作ってしまうと官僚が萎縮してやる気をなくす。だから官僚の独善や暴走は許されている。これも結果のため。この辺つらつら考えてると本当に最悪の国ですね

この国では、人権を保障しているかどうかはあくまで言葉の一側面において人権保障しているように見えればよいと考えられており、実質的には共同体還元利益が志向されているから、人権侵害も大幅に容認されており、批准している条約に抵触してしまっているということ

一見辛辣にみえる表現が混じっていても、一応そのような呼び方が許されるのは、共同体の大多数のメンバーがそれが安心や生産のためになると考えられているからであり、みんなの利益に還元されれば他人を痛罵することも許されることもありうる社会だということ

なぜか。高校教師なんて本当に生徒をいじめて快感を得るクズしかいないし、予備校ならばなおさらのこと。連中は授業や試験という形式を利用して子供を心理的に苛め抜くことだけを生きがいにしている。そこをきちんと見抜いて滅茶苦茶に暴れてやらないと大切なものをもっていかれる。

俺は高校の教師をボロクソに非難し、予備校なんかでは日誌に毎日予備校幹部の悪口を書いていたが、今思うとなんという「正解な政治行為」かと自分でも感動を禁じえない。やはり俺は子供の頃から社会の深遠な趣旨を直感する能力があったのだなあ

センター試験は趣旨読まないとろくすっぽ解けない極悪試験だからな。趣旨が分かればいじるように正解を選べるが、まともな試験だと思うと並みの点も取れない。だからね、あれは数学っていってるけど数学じゃないよ。絵だよ。そして絵はいじるべきもの。その心を教えない姑息な大人が多い。フランスのバカロレアは数学を考える試験だが、日本のセンター試験は数学的小説をいじる試験なんだね。この辺に正解があるだろうと。徹底的にいじり倒す。俺はこの試験に常にむかついていた。学問を利用して作ったエロゲをエロゲと知らされないまま延々とプレイさせられるんだよ。こんな虐待がどこにあるのか。エロゲに夢中な奴が「お前頭悪いなー」とか言ってるのみると可哀想になる。大事な青春を紙一枚に捧げることが問題じゃなくて、大事な青春をエロゲ漬けにされることが問題。大学入試センターは試験をエロゲのつもりで製作していたので、エロゲと考えて挑んだ人は正解が出しやすい工夫をしていたが、形式面が諸外国の試験そっくりであるため、孝一は糞真面目に本物の試験と勘違いしてしまい、エロゲをやっているのに試験を解いていると思っていたということ。
基本的に多くの数学嫌いの受験生を苛め抜くという趣旨で作られているが、他方で数学好きの人が受けても解けなければならない基本問題だと言い訳できるように工夫されている。目黒にある大学入試センターの職員は年中そういうことばかりかんがえているのだ。

学者がなぜ社会で生きていけないかというと、社会にあるのはただの卑劣な心情的やりとりであるところ、学者は科学に没頭しており、まったくもって日本社会と折り合わないから。だから学者は名前の上ではもてはやされていても実質的には社会から疎外されてる